十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の10 能因入道伊予守実綱にともなひてかの国に下りたりけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 能因入道、伊予守実綱((藤原実綱))にともなひて、かの国に下りたりけるに、夏の初め、日久しく照りて、民の歎き浅からざりけるに、「神は和歌にめで給ふものなり。こころみに詠みて、三島((大山祇神社))に奉るべき」由を、国司、しきりにすすめければ、   天の川苗代(なはしろ)水にせき下せあま下ります神ならば神 と詠めるを、御幣(みてぐら)に書きて、社司をして((底本「さして」。諸本により訂正。))申し上げさせたりければ、炎旱の天、にはかに曇り渡りて、大きなる雨降りて、枯れたる稲葉、おしなべて緑にかへりにけり。 たちまちに天災をやはらぐること、唐の貞観の太宗の、蝗(いなご)を呑めりし政(まつりごと)にも、劣らざりけり。 能因はいたれる数寄者なり。   都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関 と詠めりけるを、「都にありながら、この歌を出ださんこと、無念」と思ひて、人にも知られず、久しくこもり居て、色を黒く、日にあぶりなしてのち、「陸奥(みちのく)の方へ修行のついでに詠みたり」とぞ、披露しける。 ===== 翻刻 ===== 九能因入道伊与守実綱ニトモナヒテ、彼国ニ下タリケルニ、 夏初日久クテリテ、民ノ歎浅カラサリケルニ、神ハ和哥ニメ テ給物ナリ、試ニ読テ三島ニ奉ルヘキヨシヲ国司頻ニス スメケレハ、 アマノカハナハシロ水ニセキクタセ、アマクタリマス神ナラハ神 ト読ルヲ、ミテクラニ書テ、社司サシテ申上サセタリケレ/k45 ハ、炎旱ノ天俄ニクモリワタリテ、大ナル雨フリテ、枯タル イナハ、ヲシナヘテ緑ニカヘリニケリ、忽ニ天災ヲヤハラク ル事、唐ノ貞観ノ太宗ノ蝗ヲノメリシ政ニモ、ヲトラサ リケリ、能因ハ、イタレルスキモノナリ、 都ヲハ霞トトモニタチシカト、秋風ソフク白川ノセキ トヨメリケルヲ、都ニアリナカラ此哥ヲ出サン事無念 ト思テ、人ニモシラレス久クコモリヰテ、色ヲクロク日 ニアフリナシテ後ミチノクノ方ヘ修行ノ次ニ読タリ トソ披露シケル、/k46