十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の9 近くは建保のころ菅長貞宇佐の勅使として・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 近くは建保のころ、菅長貞((菅原長貞))、宇佐の勅使として下向の時、安楽寺に詣でて、作文の((「作文の」は底本「作文人」。諸本により訂正。))筵をのべける。自序を書きたりける。   青雲入手 遥持使節於百万里之西   玄風染心 泣拝祖廟於十一代之後 この句を詠吟のあひだ、文人につらなれる祠官ら、涙((「涙」は底本「浅」。諸本により訂正。))を落しけり。 神もさだめて御納受ありけんかし。 ===== 翻刻 ===== 近ハ建保ノ比、菅長貞宇佐之勅使トシテ下向ノ時、安 楽寺ニ詣テ作文人筵ヲノヘケル、自序ヲ書タリケル、/k44 青雲入手遥持使節於百万里之西 玄風染心泣拝祖廟於十一代之後 此句ヲ詠吟ノ間、文人ニツラナレル祠官等浅ヲ落シケリ、 神モ定テ御納受有ケンカシ、/k45