十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の5 後三条院住吉社に御幸ありける時経信卿序代を奉られけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 後三条院((後三条天皇))、住吉社に御幸ありける時、経信卿((源経信。[[s_jikkinsho10-04|前話]]参照。))、序代を奉られけり。その歌にいはく、   沖つ風吹きにけらしな住吉の松のしづえを洗ふ白波 当座の秀歌なり。 かの卿、のちに俊頼朝臣((源俊頼))を呼びて言はれける、「古今((『古今和歌集』))に入れる躬恒歌に、   住吉の松を秋風吹くからに声うちそふる沖つ白波 この歌、任大臣の大饗せん日、わが所詠の沖つ風の歌、中門の内に入りて、史生の饗につきなんや」と。俊頼いはく、「この仰せいかが。かの歌、全く劣るべからず。しかれども、古今歌たるによりて、かぎりありて、まづ任大臣候はんに、御作は一の大納言にて、当者として、南階よりねりのぼりて、対座に居なんとこそ存じ候へ」と言ふ。「さてはさもありなんや、いかがあるべき」とて、感気ありけり。 また、自嘆していはく、「躬恒家集、歌多かるなかにも、『松を秋風』の歌のたけ・しなは、年長(た)けたる胡人の、錦の帽子したるが、尺八・琵琶を鳴らし、紫檀の脇息おさへて、詩を詠じ、うそぶき、眺望したる姿なり。このに向ひて、あひしらひしつべきは、わが、『沖つ風』の歌こそあれ」と言はれけり。 人の身には、一能の勝るるだにありがたきに、この人々、上古にすすめる英才なり。ゆゑに、能の始めに、これを注(しる)す。 ===== 翻刻 ===== 五後三条院住吉社ニ御幸有ケル時、経信卿序代ヲ奉ラ レケリ、其哥云、 奥津風吹ニケラシナ住吉ノ、松ノシツエヲアラフ白ナミ 当座秀哥也、彼卿後ニ俊頼朝臣ヲヨヒテイハレケル、古/k40 今ニ入レル躬恒哥ニ、住吉ノ松ヲ秋風吹カラニ、声ウチ ソフル沖津白浪、此哥任大臣ノ大饗セン日、ワカ所詠ノ 奥津風ノ哥中門ノ内ニ入テ、史生ノ饗ニツキナンヤト、 俊頼云、此仰如何彼哥全クヲトルヘカラス、然而古今哥タ ルニヨリテ、有限テ先任大臣候ハンニ御作ハ一ノ大納言ニテ 当者トシテ、南階ヨリネリノホリテ対座ニヰナントコ ソ存候ヘト云、サテハサモ有ナンヤ、イカカアルヘキトテ、感気 アリケリ、又、自嘆云躬恒家集哥多カル中ニモ、松ヲ 秋風ノ哥ノタケシナハ年タケタル胡人ノ、錦ノ帽子シ タルカ、尺八比巴ヲナラシ、紫檀ノ脇息ヲサヘテ詩ヲ詠/k41 シウソフキ眺望シタルスカタ也、此人ニムカヒテ、アヒシラヒシ ツヘキハ、我オキツ風ノ哥コソアレト云レケリ、人ノ身ニハ一 能ノ勝ルルタニ有カタキニ、此人々上古ニススメル英才也、故 ニ能ノ始ニ是ヲ注ス、/k42