十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の2 菅輔昭宇多院の蔵人に補して試のために、・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 菅輔昭((菅原輔昭))、宇多院((宇多天皇))の蔵人に補して、試のために、「隔花遥勧酒」といふ詩を賦して、輔昭をして序者とす。厳閤の助成を疑ひて、院門を閉ぢて、往反せしめず。 件の序の自謙((底本「目謙」。諸本により訂正。))の句にいはく、   訴於李門之波二年 朝恩未及   踏於蓬壺之雲十日 夜飲已酣 とぞ書ける。人、これを秀逸とす。 父の文時卿((菅原文時))、「踏蓬壺之雲一日」と書くべし。指を折りて数へけるぬしかな」と難じけり。あまりのことか。 祖業を継げること、かの伊陟卿((源伊陟。[[s_jikkinsho10-01|前話]]参照。))にはにざりけり。 ===== 翻刻 ===== 二菅輔昭宇多院ノ蔵人ニ補シテ試ノタメニ隔花遥勧 酒ト云詩ヲ賦テ、輔昭ヲシテ序者トス、厳閤ノ助成/k37 ヲウタカヒテ、院門ヲトチテ往反セシメス、件ノ序ノ目 謙句云、 訴於李門之波二年朝恩未及、 踏於蓬壺之雲十日夜飲已酣、 トソカケル、人是ヲ秀逸トス、父ノ文時卿踏蓬壺之雲 一日ト書ヘシ、指ヲオリテカソヘケルヌシカナト難シケリ、 余事歟祖業ヲツケルコト彼伊陟卿ニハニサリケリ、/k38