十訓抄 第十 才芸を庶幾すべき事 ====== 10の序 ある人いはくもとよりその道々の家に生れぬるはさることなり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== **第十 才芸を庶幾すべき事** ある人いはく、もとよりその道々の家に生れぬるはさることなり、さなきたぐひも、ほどほどにつけては、能は必ずあるべきなり。 なかにも、氏を受けたる者、芸おろそかにして、氏を継がぬたぐひあり。道にあらざるたぐひ、能によりて、道にいたる徳もあれば、氏を継がんがため、道に至らんがために、かれもこれも、ともに励むべし。 なにとなく居まじりたるをりは、そのけぢめ見えざれども、芸能につけて、召し出だされ、ただうちあるわれどちの遊び、かたへに抜き出でて、なにごとをもしたらむは、雲泥の心地して、人目いみじく思えぬべし。 すべて、見もよく品高けれども、あやしくいやしきが能あるに、立ち並ぶをりは、その品その見目も必ず思ひ消たるるものなり。たとへば、花のあたりの常磐木は、うち見るに、たとへなくさめたれども、春の日数暮れ、峰の嵐過ぎぬるのちに、緑ばかり残りて、仮の匂ひ留まらざるがごとし。 されば、   桃李は一旦の栄花なり   松樹は千年の貞木なり といへり。 いみじくあて、身の能なきが一人あるを見るだに、能あるを思ひ出づる習ひなり。いはんや、能に並ぶをりのけぢめをや。いかにいはむや、同様なるが、一人は能ありて、一人は能なきをや。 なかにも、世の中の変りゆくさま、昔よりは次第に衰へもて行くにつけつつ、道々の才芸も、また父祖には及びかたき習ひなれば、藍よりも青からんことは、まことにまれなりといへども、かたのごとくなりとも、箕裘の業を継がざらむ、くちをしかりぬべし。 ===== 翻刻 ===== 第十可庶幾才芸事 或人云、本ヨリ其道々ノ家ニ生レヌルハサル事也、サナキタ クヒモ、程々ニツケテハ能ハ必アルヘキ也、中ニモ氏ヲウケタ ル物芸ヲロカニシテ氏ヲ継ヌ類アリ、道ニアラサル類ヒ/k34 能ニヨリテ道ニイタル徳モアレハ、氏ヲ継カンカタメ、道ニ イタランカタメニ、彼モ是モ共ニハケムヘシ、ナニトナクヰ交 リタルオリハ、其ケチメ見エサレトモ、芸能ニツケテ召出サ レ、タタウチアルワレトチノ遊ヒ、カタヘニヌキ出テ何事ヲ モシタラムハ、雲泥ノ心地シテ、人目イミシク覚エヌヘシ、 スヘテミモヨク品高ケレトモ、アヤシクイヤシキカ能アル ニ立ナラフオリハ、其シナソノミメモ必思ケタルルモノ也、タト ヘハ花ノアタリノ常磐木ハ、ウチミルニタトヘナクサメタレ トモ春ノ日数クレ、峰ノ嵐スキヌル後ニ、ミトリハカリ 残リテ、カリノ匂トトマラサルカコトシ、サレハ桃李ハ一旦ノ/k35 栄花ナリ、松樹ハ千年ノ貞木ナリト云リ、イミシク アテミノ能ナキカ一人アルヲ見タニ能アルヲ思出ル習 也、況ヤ能ニナラフオリノケチメヲヤ、何況ヤ同様ナルカ、 一人ハ能アリテ、一人ハ能ナキヲヤ、中ニモ世中ノカハリユ クサマ、昔ヨリハ次第ニ衰ヘモテ行ニツケツツ、道々ノ 才芸モ、又父祖ニハ及ヒカタキ習ナレハ、藍ヨリモ青 カラン事ハ、マコトニ希ナリトイヘトモ、如形ナリトモ箕裘 ノ業ヲツカサラム、口惜カリヌヘシ/k36