十訓抄 第八 諸事を堪忍すべき事 ====== 8の1 大納言行成卿いまだ殿上人にておはしける時実方中将・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 大納言行成卿((藤原行成))、いまだ殿上人にておはしける時、実方中将((藤原実方))、いかなるいきどほりかありけん、殿上に参り会ひて、いふこともなく、行成の冠を打ち落して、小庭に投げ捨ててけり。 行成、少しも騒がずして、主殿司(とのもりづかさ)を召して、「冠取りて参れ」とて、冠して、守刀(まぼりかたな)より、笄(かうがい)抜き出だして、鬢(びん)かいつくろひて、居直りて、「いかなることにて候ふやらん。たちまちに、かうほどの乱罸にあづかるべきことこそ思え侍らね。そのゆゑを承はりて、のちのことにや侍るべからん」と、ことうるはしく言はれけり。実方はしらけて逃げにけり。 折りしも、小蔀((底本「ましと(マシト)」。『古事談』「小蔀」にしたがう。))より、主上((一条天皇))御覧じて、「行成はいみじき者なり。かくおとなしき心あらんとこそ、思はざりしか」とて、そのたび蔵人頭あきけるに、多くの人を越えて、なされにけり。 実方をば、中将を召して「歌枕見て参れ」とて、陸奥守になして流しつかはされける。やがて、かしこにて失せにけり。 実方、蔵人頭にならでやみにけるを恨みて、執とまりて、雀になりて、殿上の小台盤に((底本「小台盤て」。諸本により訂正))居て、台盤を食ひけるよし、人いひけり。 一人は、忍に耐へざるによりて前途を失ひ、一人は、忍を信ずるによりて褒美にあへると、たとひなり。 ===== 翻刻 ===== 一大納言行成卿イマタ殿上人ニテオハシケル時実方中将 イカナルイキトホリカアリケン、殿上ニ参会テ云事モ ナク行成ノ冠ヲ打落テ小庭ニナケステテケリ、行成少 シモサハカスシテ、トノモリツカサヲメシテ、冠トリテ参トテ 冠シテ、マホリカタナヨリ、カウカイヌキ出テ、ヒンカイツ クロヒテヰナヲリテ、イカナル事ニテ候ヤラン、忽ニカウホ トノ乱罸ニ預ルヘキ事コソオホエ侍ラネ、其故ヲウケ/k4 給ハリテ後ノ事ニヤ侍ルヘカラント、コトウルハシクイハレ ケリ、実方ハシラケテニケニケリ、オリシモマシトヨリ主上 御覧シテ、行成ハイミシキモノ也、カクオトナシキ心有ラン トコソ思ハサリシカトテ、ソノタヒ蔵人頭アキケルニ、多ノ 人ヲ越テナサレニケリ、実方ヲハ中将ヲメシテ哥枕 見テ参トテ、陸奥守ニナシテ流遣ハサレケル、ヤカテ彼 コニテ失ニケリ、実方蔵人頭ニナラテヤミニケルヲ恨ミ テ、執トマリテ雀ニ成テ、殿上ノ小台盤テヰテ台盤 ヲクヒケルヨシ人云ケリ、一人ハ忍ニタヘサルニヨリテ 前途ヲ失ヒ、一人ハ忍ヲ信スルニヨリテ褒美ニアヘ/k5 ルトタトヒナリ、/k6