十訓抄 第七 思慮を専らにすべき事 ====== 7の28 また、賢人のもとにも不覚なる者もありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== また、賢人のもとにも不覚なる者もありけり。 九条民部卿顕頼((藤原顕頼))のもとに、あるなま公達、年は高くて、近衛司を心がけ給ひて、ある者して、「よきさまに奏し給へ」など、言ひ入れ給へるを、主うち聞きて、「年は高く((「高く」は底本「たかり」。諸本により訂正。))今はあるらん。なんでふ、近衛司、望まるるやらん。出家うちして、かたかたに居給ひたれかし」と、うちつぶやきながら、「『細かに承りぬ。ついで侍るに、奏し侍るべし。このほど、いたはることありてなん、かくて聞き侍る。いと便なく侍り』と聞こえよ」とあるを、この侍、さし出づるままに、「『申せ』と候ふ。『年高くなり給ひぬらん。なんでふ、近衛司、望み給ふ。かたかたに出家うちして、居給ひたれかし。さりながら、細かに承りぬ。ついで侍るに、奏すべし』と候」と言ふ。 この人、「しかしかさま侍り。思ひ知らぬにはなけれども、前世の宿執にや、このこと、さりがたく心にかかり侍れば、本意遂げて後は、やがて出家して、こもり侍るべきなり。隔てなく仰せ給ふ、いとど本意に侍り」とあるを、そのままに、また聞こゆ。 主、手をはたと打ち、「いかに聞こへつるぞ」と言へば、「しかしか、仰のままに」など言ふに、すべていふはかりなし。 この使ひにて、「いかなる国王・大臣の御ことをも、内々愚かなる心の及ぶところ、さこそうち申すことなれ。それを、この不覚に悉くに((「不覚に悉くに」は底本「不覚仁迷くに」。諸本により訂正。))申し侍りける、あさましと聞こゆるも愚かに侍り。すみやかに参りて、御所望のこと申して聞かせ奉らむ」とて、そののち少将になり給ひにけり。まことに、言ひけるやうに、出家していまそかりける。 古人いへることあり。「人を仕ふことは、工(たくみ)の木を用ゐるが如し」といへり。「かれはこのことに堪へたり。これはこのことによし」と見はからひて、その得失を知りて使ふなり。 しかれば、民部卿、似非工(えせたくみ)にておはしけるやらん。申次ぎすべくもなかりける侍なりしか。 ===== 翻刻 ===== 心ヲ感シムトハ是也、又賢人ノモトニモ不覚ナルモノ モアリケリ、 卅二九条民部卿顕頼ノモトニアルナマ君達年ハ高クテ 近衛司ヲ心カケ給ヒテ、或者シテヨキサマニ奏シ給 ヘナト云入給ヘルヲ、主ウチ聞テ、年ハタカリ今ハア ルラン、何条近衛司望マルルヤラン、出家ウチシテ片 方ニ居給タレカシトウチツフヤキナカラ、細ニ承リヌ、 次テ侍ニ奏シ侍ルヘシ、此ノホトイタハル事有テナンカク テ聞侍ル、イト便ナク侍ト聞エヨトアルヲ此侍サ シ出ルママニ申ト候年高ク成給ヌラン、何条近衛司 望給フ、片方ニ出家ウチシテ居給タレカシ、サリナ/k168 カラ細ニ承リヌ次侍ニ奏ヘシト候ト云、此人シカシカ サマ侍リ思知ラヌニハナケレトモ、前世ノ宿執ニヤ此事 サリカタク心ニカカリ侍レハ、本意遂テ後ハ、ヤカテ出 家シテ籠侍ヘキ也、無隔仰給イトト本意ニ侍リ トアルヲ、其ママニ又聞ユ、主手ヲハタト打イカニ聞ヘツ ルソトイヘハ、シカシカ仰ノママニナト云ニ、スヘテ云ハカリナ シ、此使ニテ何ナル国王大臣ノ御事ヲモ、内々愚ナル心ノ 及フ所サコソウチ申事ナレ、其ヲ此不覚仁迷クニ申 侍ケル、アサマシト聞ルモ愚ニ侍リ、速ニ参テ御所望 事申テ聞セ奉ラムトテ、其後少将ニ成給ニケリ、 実ニ云ケルヤウニ出家シテイマソカリケル、古人云ル/k169 事アリ、人ヲ仕事ハ工ノ木ヲ用カ如シト云リ、彼ハ此 事ニタヘタリ、是ハ此事ニヨシト見ハカラヒテ、其得失 ヲ知テ仕也、然ハ民部卿ヱセ工ミニテオハシケルヤラン、 申ツキスヘクモナカリケル侍ナリシカ、/k170