十訓抄 第七 思慮を専らにすべき事 ====== 7の24 中ごろよろしき人の子にて禅師の君ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 中ごろ、よろしき人の子にて、禅師の君ありけり。学問・行をばせで、なにとなく過ぐるほどに、「きたなき聞こえさへ出で来にけり」とて、師のもとよりも常に音信もせず、乳母もなければ、すべきやうもなくて((「なくて」は底本「な」なし。諸本により補う。))、いかがしたりけん、賀茂の宮司(みやづかさ)なりけるものの姫にいひよりて、師のもと近き人のもとを借りて、迎へ寄りて住みけり。 いみじきことはなけれども、賀茂より常に音信ければ、ありつきたる心地して過ぐるほどに、世の中、ものさわがしく聞えて、田舎より京へ、物なども上ることもなかりけれは、京中の上中、あさましきことにて、大事となりけるほどに、やうやう年の果てにもなりぬれば、この禅師、師のもとへ参りて、何となくまぎれ歩(あり)くほどに、縹(はなだ)の襖(あを)に、青袴着て、太刀帯(は)きたる侍の歩み入りて、この禅師の君を尋ねて、「申すべきことあり」と言ひければ、縁のかたはらにて、尋ね聞こゆれば、「承りわたりて尋ね申すなり。養君にて高き人の姫君を持ち参らせて候ふが、過ぎにしころ、宮仕へなどせさせ給ひしかども、世の中かはりて、さやうの縁も欠け候ひたれば、『今は、ただ品よくおはしまさん僧などを知る人にて、過ぐさばや』と候ひて、『わざと尋ね参らせよ』と候ふなり。筑紫に知る所、二三所候へば、無下にわびしき人にてもおはしまさず。かやうに候ふ者も、ひとへにこの御恩にて、はかなき馬一つ繋ぎてまかり過ぎ候ふなり。いかがおぼしめす」と言へば、この禅師、「年ごろ心中に願ひつることなり。しかるべき仏神の御しるべ」と、うれしく思ふことかぎりなし。 「かへすがへすも、仰せらるるままに」と言ひければ、「左右なく、あれへ渡らせ給はん((底本「給はし」。「ン」を「シ」に誤ったものとみて、諸本により訂正。))ことは、人目もいつしかなるやうに候ひなん。この辺へ迎へ参らせて、十日ばかりなどおはしまして、そののちは、いかにもやすきなり」と言へば、「まことに、さも侍りぬべし」と、「御迎へに参らせん人目、いかがつつましくこそ((「つつましくこそ」底本「く」なし。諸本により補入。))」と言ひければ、「それは、御車も牛もいたづらに候ひぬれば、やがて奉りてこそは」と言ふ。 禅師の公((「公」底本「云」。諸本により訂正。))、心の中に、日ごろ歩(あり)きせんと思ひつるも、乗物なくて、術なかりつるに、牛車持たる人、迎へ寄りて、思ふままに行き来せんこと、まづうれしく思えて、今日明日のほどに約束して、この侍、帰りぬ。 宿の主の僧に、このことを語りければ、「めでたきこと」とよろこびて、御領など候ふなれば、かく宿し参らせたる奉公には、預所職など給ふべきよしを言ひければ、「沙汰に及ばぬ次第なり」と答へて、この賀茂の妻に言ふやう、「かくてあれども、いつを待つともなき身にて侍れば、御ため、不便のことなり。今はよしなく侍り。年かへらむままには、聖などうちたてて、一人過ぎんと思ふに、さらば、旧年に帰りおはしませ。かくても、いかがせさせ給ふべき」と言ひければ、この女、「あさまし」と思へども、「かくほどに言ふことなれば、いかがせん」とて出で立ちけり。 女、心細く思えければ、   偽りの言の葉ただす神も聞けさやは契りしなからぎの宮 禅師も人の子なりければ、かくしながら、さすがにあはれに思えて、とにかくに、わが身のありさまを思ひ歎きけり。   貴船川岩間を分くる白浪の寄るかたもなき身をいかがせん とぞ詠みける。 妻送りて((「送りて」は底本「をくれて」。文意により訂正。))のち、師走の二十九日の夕方、きよげなる牛車に、雑色・牛飼など、さはやかにて、この侍具して、左右なくやり((「やり」は底本「やく」。諸本により訂正。))入れたり、禅師、騒ぎて、車寄せなどしてけり。 かくて見れば、「人の姫君などは、おほどかなるさまにや」とおしはかるに、さはなくて、ことのほかにはなやかに、うち向ひたるも、常は笑ましきことのみあれば、「宮仕しければ、人馴れにけるにこそ」と思ひて過ごしけり。家主、「筑紫に領などあり」と聞きおきたれば、「いかでか、もてなさざるべき」と思ひて、この家の証文など質に置きて、人の物を借りて、ゆゆしくあつかひけり。 ほど経て、この家主、侍に言ひけるは、「正月も過ぬ。いつとなく、かくて((底本「かりて」。諸本により訂正。))のみは、いかがおはします。やうやう御前の御所へ渡し参らせて、所も知らせさせ給へかし」と言ひければ、この侍、言ひけるやう、「和御房は無下に世の目も知らぬ山賤(やまがつ)かな。何某、知らぬ人やはある。このころ世の中にはやりたる、『もちかなづち』とはわがことなり。御前を申すぞかし。『舞姫わらはべ』と。まだ知らせ給はぬか。このほど、世の中乱れ損じて、あひする人もなし。年越すべきやうもなかりしかば、『正月をだにも、おだしく過ぐさん』とかまへたるぞかし」とて、「今はかなはじ。鼓(つづみ)・銅拍子(とんびやうし)、取り出でよ」とて、御前も侍も、舞ひかなでてぞ、出でにける。 目もあやなり。 ===== 翻刻 ===== 廿七中比ヨロシキ人ノ子ニテ禅師ノ君有ケリ、学問行ヲ ハセテ、ナニトナク過ルホトニ、キタナキ聞エサヘ出来ニケ リトテ師ノモトヨリモ常ニ音信モセス、乳母モナケレ ハ、スヘキヤウモクテイカカシタリケン、賀茂ノ宮ツカサ ナリケルモノノ姫ニ云ヨリテ、師ノモト近キ人ノモトヲ カリテ、迎ヘ寄テスミケリ、イミシキ事ハナケレトモ、 賀茂ヨリ常ニ音信ケレハ、アリツキタル心地シテ 過ルホトニ、世中物サハカシク聞テ、ヰナカヨリ京ヘ/k149 物ナトモ上ル事モナカリケレハ、京中ノ上中浅猿事ニテ 大事トナリケルホトニ、ヤウヤウ年ノハテニモ成ヌレハ、此禅師 師ノモトヘ参テ、何トナクマキレアリク程ニ、ハナタノアヲニ アヲ袴キテ太刀ハキタル侍ノ歩ミ入テ、此禅師ノ君ヲ尋 テ申ヘキ事アリト云ケレハ、縁ノカタハラニテ尋キコ ユレハ、承リワタリテ尋申也、養君ニテ高キ人ノ姫君ヲモ チマイラセテ候カ、過ニシ頃宮仕ナトセサセ給シカトモ、 世中カハリテ、サヤウノエンモカケ候タレハ、今ハタタシナヨク オハシマサン僧ナトヲ、シル人ニテ過ハヤト候テ、態トタ ツネマイラセヨト候也、ツクシニ知所二三所候ヘハ、無下ニワ ヒシキ人ニテモオハシマサス、カヤウニ候者モ、ヒトヘニ此御/k150 恩ニテ、ハカナキ馬ヒトツモツナキテ罷過候也、イカカ オホシメストイヘハ、此禅師年来心中ニ願ツル事也、可 然仏神ノ御シルヘトウレシク思事限ナシ、返々モ被仰 ママニト云ケレハ、左右ナクアレヘワタラセ給ハシ事ハ、人目モ イツシカナルヤウニ候ナン、此辺ヘムカヘマイラセテ、十日斗 ナトオハシマシテ、其後ハイカニモヤスキナリトイヘハ、 実ニサモ侍ヌヘシト御迎ニマイラセン人目イカカツツ マシコソト云ケレハ、其ハ御車モ牛モ徒ニ候ヌレハ、ヤカテ タテマツリテコソハト云、禅師ノ云、心ノ中ニ日頃アリ キセント思ツルモ、乗物ナクテ術ナカリツルニ、牛車モ タル人迎ヘ寄テ、思フママニ行キセン事、先ウレシク/k151 覚エテ、今日明日ノホトニ約束シテ此侍帰リヌ、宿 ノ主ノ僧ニ此事ヲ語ケレハ、目出事ト悦テ御領ナト 候ナレハ、カクヤトシマイラセタル奉公ニハ、預所職ナト 給ヘキヨシヲ云ケレハ、サタニ及ハヌ次第也ト答テ、此賀 茂ノ妻ニ云ヤウ、カクテアレトモ、イツヲ待トモナキ身 ニテ侍レハ、御タメ不便ノ事ナリ、今ハヨシナク侍リ、 年カヘラムママニハ、聖ナトウチタテテヒトリ過ント 思フニ、サラハ旧年ニカヘリオハシマセ、カクテモイカカ セサセ給ヘキト云ケレハ、此女アサマシト思ヘトモ、カクホ トニ云事ナレハ、イカカセントテ出立ケリ、女心ホソクオ ホエケレハ/k152 偽リノコトノハタタス神モキケ、サヤハチキリシナカラ木 ノミヤ、禅師モ人ノ子ナリケレハ、カクシナカラサスカ ニ哀ニオホエテ、トニカクニ我身ノ有様ヲ思歎ケ リ、 貴舟川イハマヲワクル白浪ノ、ヨルカタモナキ身ヲ イカカセン トソヨミケル、妻ヲクレテ後シハスノ廿九日ノ夕方キ ヨケナル牛車ニ雑色牛飼ナトサハヤカニテ、此侍 具シテ左右ナクヤク入レタリ、禅師サワキテ車ヨセナ トシテケリ、カクテ見ハ、人ノ姫君ナトハオホトカナル サマニヤトオシハカルニ、サハナクテ、コトノホカニハナヤカ/k153 ニ、ウチムカヒタルモ、ツネハエマシキ事ノミアレハ、宮仕シ ケレハ人ナレニケルニコソト思テ過シケリ、家主筑紫ニ 領ナト有トキキヲキタレハ、イカテカモテナササルヘキト思 テ、此家ノ証文ナト質ニヲキテ人ノ物ヲ借テ、ユユシク アツカヒケリ、程ヘテ此家主侍ニ云ケルハ、正月モ過ヌ イツトナクカリテノミハイカカオハシマス、漸御前ノ御所ヘ ワタシマイラセテ、所モ知セサセ給ヘカシト云ケレハ、此侍 云ケルヤウ、和御房ハ無下ニヨノ目モ知ヌ山カツカナ、何某 知ヌ人ヤハアル、此頃世中ニハヤリタルモチカナツチトハ我 事也、御前ヲ申ソカシマヒ姫ワラハヘトマタ知セ給ハヌ カ此程世中乱レ損メ、アヒスル人モナシ、年コスヘキヤウ/k154 モナカリシカハ、正月ヲタニモオタシク過ント構ヘタルソ カシトテ、今ハカナハシツツミトンヒヤウシ取出ヨトテ、御前 モ侍モ舞カナテテソ出ニケル、目モアヤナリ、/k155