十訓抄 第七 思慮を専らにすべき事 ====== 7の21 御堂入道殿法成寺を作らせ給ふ時毎日渡らせ給ふ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 御堂入道殿((藤原道長))、法成寺を作らせ給ふ時、毎日渡らせ給ふ。そのころ、白犬を愛して飼はせ給ひける。御供に参りけり。 ある日、門を入らせおはしますに、御先に進みて、走りめぐりて吠えければ、立ちどまらせ給ひて御覧ずるに、させることなかりければ、なほ歩み入らせ給ふに、犬、御直衣の襴(らん)を食ひて引き止め奉りければ、「いかにも、やうあるべし」と、榻を召して、御尻をかけて居給ひて、たちまちに晴明を召して、子細を仰せらるるに、しばらく眠りて、思惟したる気色にて申すやう、「君を呪詛し奉るもの、厭術物を道に埋みて、『越えさせ奉らん』と、かまへ侍るなり。御運、やむごとなくして((「なくして」は底本「なりして」。諸本により訂正。))、この犬、吠えあらはすところなり。犬、もとより小神通のものなり」とて、その所を指して、掘らするに、土器(かはらけ)をうち合はせて、黄なる紙ひねりにて、十文字にからげたるを、掘りおこして、解きて見るに、入りたる物はなくして、朱砂にて、一文字を土器に書けり。 晴明、申していはく、「この術は、極めたる秘事なり。晴明がほか、知る者なし。ただし、道摩法師((蘆屋道満とも))の所為か。その一人ぞ知るべし」とて、懐紙(ふところがみ)取り出でて、鳥の形をゑりて、呪を唱へて投げ上ぐるに、白鷺となりて、南を指して行く。「この鳥の落ちとまらむ所を、厭術物の住む所と知るべし」と申しければ、下部(しもべ)、かの白鳥の行方(ゆくへ)をまもりて、つけて行くあいひだ、六条坊門、万里小路、河原院の古き跡、折戸の内に落ちぬ。 よりて、捜りまもるところに、老僧一人あり。すなはち搦め取りて行方を問はる。道摩、堀河の右府((藤原頼宗))のかたらひにて、術をほどこす由、申しけれども、罪をば行はれず。本国播磨へ追ひつかはす。ただし、永くかくのごとき術、致すべからざる由、誓状を召さる。 これ、運の強く、慮のかしこくおはしますによりて、おの難を逃れさせ給ひにけり。 ===== 翻刻 ===== 廿四御堂入道殿法成寺ヲ作セ給時、毎日渡ラセ給、其 頃白犬ヲ愛シテ飼セ給ケル御トモニ参リケリ、或 日門ヲ入セオハシマスニ、御先ニ進テハシリメクリテ ホエケレハ、タチトマラセ給テ御ラムスルニ、指事ナカ リケレハ、尚歩ミ入セ給ニ、犬御直衣ノラムヲクヒテ 引止メ奉ケレハ、イカニモヤウアルヘシト、榻ヲ召テ/k142 御尻ヲカケテ居給テ、忽ニ晴明ヲ召テ子細ヲ被 仰ニ、シハラク眠テ思惟シタル気色ニテ申ヤウ、君 ヲ呪詛シ奉ルモノ厭術物ヲ道ニ埋ミテコエサセ 奉ラント構ヘ侍也、御運ヤムコトナリシテ、此犬ホエア ラハス所也、犬モトヨリ小神通ノ物ナリトテ、其所 ヲサシテホラスルニ、土器ヲ打合テ、黄ナルカミヒネ リニテ、十文字ニカラケタルヲホリヲコシテ、解テミルニ、 入タル物ハナクシテ、朱砂ニテ一文字ヲ土器ニカケリ、晴 明申云、此ノ術ハ極タル秘事也、晴明カ他知者ナシ、但 道摩法師所為カ、其一人ソ知ヘシトテフトコロカミ 取出テ、鳥ノカタチヲエリテ、呪ヲトナヘテナケアクルニ、/k143 白鷺ト成テ南ヲサシテ行、此鳥ノオチトマラム所ヲ、 厭術物ノ住所ト知ヘシト申ケレハ、下部彼白鳥ノ行 方ヲ守テ付テ行間、六条坊門万里小路河原院ノ フルキ跡折戸ノ内ニオチヌ、仍捜守ル所ニ、老僧一 人有、即搦取テユクエヲ問ハル、道摩堀河ノ右府ノ 語ニテ術ヲホトコスヨシ申ケレトモ、罪ヲハヲコナハレ ス、本国播磨ヘヲヒツカハス、但永如此術不可致ル 由誓状ヲ被召、是運ノツヨク慮ノ賢オハシマスニ ヨリテ、此難ヲノカレサセ給ニケリ、/k144