十訓抄 第七 思慮を専らにすべき事 ====== 7の20 斉名以言を試みられける時秋未出詩境といふことを作らるるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 斉名((紀斉名。底本なし。諸本によって補う。))、大隅守大江仲宣子((大江以言は仲宣の子。傍注の竄入とみられる。))以言((大江以言))を試みられける時、「秋未出詩境」といふことを作らるるに、以言、   文峯案轡駒過景   詞海艤船葉落声((「艤船」、底本を含め諸本「船艤」。『和漢朗詠集』により訂正。)) と作りたりけるを、ひそかに後中書王((具平親王))に見せ奉るところに、「白字、大切なり」と仰せらるるにつけて、「白駒景」、「紅葉声」と直して、秀句に定め、そののち、斉名、病重かりける時、御子訪ね給ひたりければ、「恩問の旨、恐悚千廻。ただし、白字の事忘却せず」とぞ申しける。 文時卿、「菊是草中仙」といふ題をたまはりて、作り得ざりければ、衣を引かづきて寝たりけるに、保胤((慶滋保胤))来たりて、「今度、いかん」と言ひければ、「力及ばず。不得の度(たび)なれば」と答へけるに、かの草案を見ければ、   蘭蕙苑嵐摧紫後((底本「蘭蕙薨嵐槯紫後」。『和漢朗詠集』により訂正。))   蓬莱洞月照霜中 といふ詩あり。「これすでにに秀句なり。いかに歎き給ふべき」と言ふあひだ、三品、この詩を出だすところに、世もつて秀逸とす。 自作のこと、いみじき人もはからひ得ぬなり。かやうのこと、もっとも思慮すべきか。 ===== 翻刻 ===== 廿二大隅守大江仲宣子以言ヲ試ラレケル時、秋未出詩境 ト云事ヲ作ラルルニ、以言文峯ニ案ス轡ヲ駒過景詞 海ニ船艤葉落声ト作タリケルヲ、ヒソカニ後中書王ニ 見奉ルトコロニ、白字大切也ト被仰ニ付テ、白駒景紅葉 声ト直シテ秀句ニ定メ、其後斉名病重カリケル時、 御子訪給タリケレハ、恩問ノ旨恐悚千廻、但白字事 不忘却トソ申ケル、 廿三文時卿菊是草中仙ト云題ヲ給テ、作エサリケレハ、衣 ヲ引カツキテネタリケルニ、保胤来テ今度如何ト云 ケレハ、不及力不得ノタヒナレハト答ケルニ彼草案ヲ/k141 見ケレハ、 蘭蕙薨嵐槯紫後、 蓬莱洞月照霜中、 ト云詩アリ、是已ニ秀句也、何ニ歎給ヘキト云間、三 品此詩ヲ出ス所ニ、世以為秀逸、自作ノ事イミシ キ人モ斗ヒエヌナリ、カヤウノ事尤可思慮歟、/k142