十訓抄 第七 思慮を専らにすべき事 ====== 7の17 堀河院の御時おととひにて家綱行綱といふ陪従ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 堀河院((堀河天皇))の御時、おととひにて、家綱・行綱といふ陪従ありけり、無双の猿楽どもなり。 内侍所の御神楽の夜、「今夜、めづらしからむこと、つかうまつるべし」と職事にて、この二人に仰せられたりければ、ことにひきつくろふべきよし申して、家綱、弟の行綱に言ふやう、「かくことに仰せ下されたり。われ思ふやうは、上の袴を高くかりあげて、細脛(ほそはぎ)を出だして、庭火を走り回りて、をせむやうにて、   よりちう夜更けて   さりけふ寒きに   ふりけうふぐりう   ありけうあぶらん と言ひて、十返(とかへり)ばかり走りめぐらんと思ふ。いかがあるべき」と言ひ合はせければ、行綱、「まことにさりなむ。ただし、おほやけの御前にて、『ふぐりあぶらむ』など候はんこと、無下に下卑て、恐れや候はんずらん」と言ふ。「かしこく申し合はせけり」とて、さしもなきことをして、入りにけり。 その次に、行綱、脛(はぎ)をかかげて、のけざまにそれかへりて、かの兄が言ひつることをたがへず、声を寒げにわななかして、ほそめて((底本「ほくめて」。諸本により訂正。))、庭火を走りまはりたりけるに、おほかた、主上をはじめ参らせて、笑はせ給ふことかぎりなし。 そののちに、弟に仲たがひて、「心憂きことなり。かうほどにおき出ださるること、左右に及ばず。敵(かたき)にこそあれ」とて、二三年は面も向はざりけり。 兄、家綱、思ふやうやありけん、このこと、さらさら不審あるべからず。さのみこそあれ、これによりて、兄弟の恨みはつべきにあらず」とて、仲よく((底本「中より」諸本により訂正。))なりにければ、行綱、「これ本意なり」とて、過ぎゆくほどに、賀茂の臨時の祭の還立(かへりだち)の御神楽に、「今夜、めづらしからむこと、つかうまつれ」と仰せ下されければ、行綱、兄の家綱に言ふやう、「この竹台のもとに、そそめき行かむ。それを、『あれは何するものぞや』と、はやし給へ。それにつけて、『竹豹ぞ』とて、豹の振舞ひをつくさむ」と言ひければ、家綱、「おもしろかりなん。手の際(きは)、囃(はや)さん」と言ひければ、行綱、竹台のもとに、するぼひ歩(あり)きければ、家綱、「あれは何する竹豹ぞ」と囃したりけり。 言はむと支度したることを、先に言はれにければ、言ふべきことなくて、ふと、入りにけり。 このこと、上まて聞こしめして、なかなかゆゆしき御興にてぞありける。互ひに謀られたりける。をかし。先年の答、ことに興あり。 ===== 翻刻 ===== 十八堀河院御時、オトトヒニテ家綱行綱ト云陪従有 ケリ、無双ノ猿楽トモナリ、内侍所ノ御神楽夜、今 夜メツラシカラム事ツカウマツルヘシト職事ニ テ此二人ニ被仰タリケレハ、殊ニヒキツクロフヘキヨシ申 テ、家綱弟ノ行綱ニ云ヤウ、カク殊ニ被仰下タリ、我 思フヤウハ、ウヘノ袴ヲタカクカリアケテ、ホソハキヲ出シ/k136 テ庭火ヲ走リマハリテヲセムヤウニテヨリチウ夜 フケテサリケフサムキニフリケウフクリウアリケ ウアフラント云テトカヘリハカリハシリメクラント思 フイカカアルヘキト云合ケレハ、行綱実ニサリナム、但オホ ヤケノ御前ニテ、フクリアフラムナト候ハン事、無下ニケ ヒテ恐ヤ候ハンスラント云、賢ク申合ケリトテ、サシモ ナキコトヲシテ入ニケリ、其次ニ行綱ハキヲカカケテ ノケサマニ、ソレカヘリテ彼兄カ云ツル事ヲタカヘスコ エヲサムケニワナナカシテ、ホクメテ庭火ヲハシリマハ リタリケルニ、大方主上ヲ始メマイラセテ、ワラハセ 給コト限ナシ、其後ニ弟ニ中タカヒテ、心ウキコトナリ、/k137 カウホトニオキ出サルル事左右ニ及ハス、カタキニコソア レトテ、二三年ハ面モムカハサリケリ、兄家綱思ヤウヤ有 ケン、此事更々不審有ヘカラス、サノミコソアレ、是ニヨ リテ兄弟ノ恨ハツヘキニアラストテ、中ヨリ成ニケレハ、行 綱コレ本意ナリトテ、過行程ニ、賀茂ノ臨時ノ祭 ノカヘリタチノ御神楽ニ、今夜メツラシカラム事ツカウ マツレト被仰下ケレハ、行綱兄ノ家綱ニ云ヤウ、此竹台 ノモトニソソメキ行カム、其ヲアレハナニスルモノソヤト、ハ ヤシ給ヘ、其ニ付テ竹豹ソトテ、豹ノフルマヒヲツクサ ムト云ケレハ、家綱面白カリナン、手ノキハハヤサント云ケ レハ、行綱竹台ノモトニスルホヒアリキケレハ、家綱アレ/k138 ハ何スル竹豹ソトハヤシタリケリ、イハムト支度シタル 事ヲ、サキニイハレニケレハ、云ヘキ事ナクテ、フト入ニケリ 此事上マテ聞食テ、中々ユユシキ御興ニテソ有ケル、 互ニハカラレタリケルオカシ、先年ノ答コトニ興アリ、/k139