十訓抄 第七 思慮を専らにすべき事 ====== 7の14 皇嘉門院はじめて院号かぶらせ給へりけるころ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 皇嘉門院((藤原聖子))、はじめて院号かぶらせ給へりけるころ、侍従大納言成通卿((藤原成通))参りて、左衛門佐といふ女房にあひて、物語して、「この宮の院号は、何と申し侍るぞ」と問ひければ、「皇嘉門院」とさだかにいらへたりけり。 次に、兵衛といふ女房にこのことを言ひて、問ひけれは、「何とかや、世づかぬやうなる御名にてとか」と言へりけるを、「兵衛は優の者なり。左衛門佐が、『さりとも知らざらむやは』と思はで、いみじくいらへたりし、あやしう思えしに、優にこそ、おぼめきたりしか」と感じ給ひけり。 ===== 翻刻 ===== 十五皇嘉門院始テ院号カフラセ給ヘリケル頃、侍従大 納言成通卿参テ、左衛門佐ト云女房ニアヒテ物語シテ、 此宮之院号ハ何ト申侍ソト問ケレハ、皇嘉門院トサ タカニイラヘタリケリ、次ニ兵衛ト云女房ニ此事ヲ云 テ問ケレハ、ナニトカヤヨツカヌヤウナル御名ニテトカトイ ヘリケルヲ、兵衛ハユフノモノ也、左衛門佐カサリトモ知サラ/k130 ムヤハト思ハテ、イミシクイラヘタリシ、アヤシウ覚エ シニ、ユフニコソオホメキタリシカト感シ給ケリ、/k131