十訓抄 第七 思慮を専らにすべき事 ====== 7の11 南都林懐僧都京へのぼられける時木津の人の家にして鮮魚を求めて食す・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 南都、林懐僧都、京へのぼられける時、木津の人の家にして、鮮魚を求めて食す。家主、心の中に誹謗し思ひけり。 彼が妻の、月ごろ腹ふくれて、命失せぬべし。件の夜、夢に八童子ありて、「林懐が護法なり」と言ひて、腹をたたきて、雑穢をかり出だすと見る。夢覚めて、腹癒えぬ。わゑ、筵に満てり。夫にこの由を告ぐ。常の人にあらずと知り、早旦に苫((底本「苦」。新日本古典文学全集の説にしたがう。))に新しき魚を求めてすすめけり。 いたれる聖は、かく魚鳥をきらはぬことあり。仁海僧正は、小鳥を食はれけるとぞ。さればとて、世の常の僧、このまねをすべからず。寛印供奉のたまへることあるにや。 京極源大納言雅俊卿((源雅俊))のもとに、講を行ひけるに、導師、妙覚寺の静信法印、遅く来けるを、にくがりて、すでに残りの僧どもは、僧膳につきて食ひける時、まかりたりけるに、箸を取り隠したりけり。 静信、わが前の高坏(たかつき)を見るに、箸なかりければ、ふところより箸を抜き出して、物取り食ひたりけり。「何の料((底本「断」。諸本により訂正。))に持ちたりけるぞ」と、おほかた、上より下ざままで、ののしりたりけり。 これ、優の用意にはあらねども、人の支度に落ちざりけり。興ありて、をかし。 ===== 翻刻 ===== 十一南都林懐僧都京ヘノホラレケル時、木津ノ人ノ家ニシ テ鮮魚ヲ求テ食ス、家主心ノ中ニ誹謗シ思 ケリ、彼カ妻ノ月頃腹フクレテ命失ヌヘシ、件ノ 夜夢ニ八童子アリテ、林懐カ護法ナリト云テ、腹 ヲタタキテ雑穢ヲカリイタストミル夢サメテ/k126 腹イエヌ、ワエ筵ニミテリ、夫ニ此由ヲ告ク、常ノ人ニア ラストシリ、早旦ニ苦ニアタラシキ魚ヲ求テスス メケリ、イタレル聖ハカク魚鳥ヲキラハヌ事アリ、仁海 僧正ハ小鳥ヲクハレケルトソ、サレハトテヨノツネノ僧此 マネヲスヘカラス、寛印供奉ノ給ヘル事アルニヤ、 十二京極源大納言雅俊卿ノモトニ、講ヲ行ヒケルニ、導師 妙覚寺ノ静信法印遅ク来ケルヲ、ニクカリテ、ステニ 残ノ僧共ハ僧膳ニ付テクヒケル時、マカリタリケルニ、 箸ヲ取隠シタリケリ、静信我前ノタカツキヲ見ニ、 箸ナカリケレハ、フトコロヨリ箸ヲヌキ出シテ、物トリ クヒタリケリ、何ノ断ニ持タリケルソト、大方上ヨリ/k127 下サママテノノシリタリケリ、コレユフノ用意ニハアラ ネトモ、人ノ支度ニオチサリケリ、興アリテオカシ、/k128