十訓抄 第七 思慮を専らにすべき事 ====== 7の2 延喜年中ごろ美濃国伊吹の山に千手陀羅尼の持者住みけり。・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 延喜年中ごろ、美濃国伊吹の山に、千手陀羅尼の持者住みけり。二三十日なれども、断食にて、験得のかたがた、不思議多かりけるあひだ、遠近の貴賤集まり拝みける時に、善宰相清行卿((三善清行))、これを聞きわたりて、かの所へおはして、この僧に対面して物語し給ひけるが、かたはらの人々に語りていはく、「この人は、かく行徳あるやうなれども、無智のあひだ、つひには魔界のためにたぶらかさるべし」と言ひて、帰り給ひにけり。 その後(のち)ほど経て、ある時に、もろもろの天女、紫雲に乗りて、妓楽をなし、玉の輿を飾り来て、この僧を迎へ取りて去りにけり。見る者、いくばくぞ。みな奇異の思ひをなしたりけるほどに、四五日ありて、樵父の、山へ入りたりければ、はるかに高き木の上に、蚊の鳴くやうにて、人のうめく声聞こへけるを、怪しみて、人に告げたりければ、近辺の住人、集りてこれを見るに、人のやうには見なしたれども、たやすく登るべき木ならねば、鷹の巣下(おろ)す者をやとひて、のぼせたりければ、法師を木の末に結ひ付けたり。 やうやうに支度をして、解き下(おろ)したるを見るに、この千手陀羅尼の持者なりけり。あさましとも愚かにて、具し帰り、さまざまあつかひければ、命ばかりは生きたりけれども、ほれぼれとして、いふかひなければ、行徳ほどこすにも及ばず。 これは、かの僧のすすめることにはあらず、天魔の所為なれども、愚かなるより起れるうへ、先のこと(([[s_jikkinsho07-01|前話]]参照))にあひ似たるあひだ、しるす。 これらはさておきつ。しかるべき人の習ひとして、心をはかり見むために、何ごとをも、あらはに見せ知らせず、心をまはして、つくりも出だし、言ひもせられたらむを、よくよく案じめぐらして、不覚せぬやうに振舞ふべし。よろづにつけて。用意深くして、人のあざむき、たばからむことなどをも、よくよく思慮すべし。その案に落つまじきなり。 ===== 翻刻 ===== 二延喜年中頃美濃国イフキノ山ニ千手陀羅尼ノ 持者住ケリ、二三十日ナレトモ断食ニテ験得ノ方々 不思儀多カリケル間、遠近ノ貴賤集リ拝ケル時ニ、 善宰相清行卿是ヲ聞ワタリテ、彼所ヘオハシテ、/k112 此僧ニ対面シテ物語シ給ケルカ、傍ノ人々ニ語テ云、 此人ハカク行徳アルヤウナレトモ無智ノ間、終ニハ魔 界ノタメニタフラカサルヘシト云テ、帰リ給ニケリ、 其後程ヘテ、或時ニ諸ノ天女紫雲ニ乗テ妓 楽ヲナシ、玉ノコシヲカサリ来、此僧ヲ迎取テ去 ニケリ、見者幾ソ皆奇異ノ思ヲナシタリケルホ トニ、四五日アリテ、樵父ノ山ヘ入タリケレハ、遥ニタ カキ木ノ上ニ、蚊ノ鳴ヤウニテ人ノウメク声キコヘ ケルヲ、怪ミテ人ニ告タリケレハ、近辺ノ住人集リ テ是ヲ見ニ、人ノヤウニハミナシタレトモ輙ク可昇木 ナラネハ、鷹ノスオロスモノヲヤトヒテノホセタリケ/k113 レハ、法師ヲ木ノスエニユヒツケタリ、ヤウヤウニ支度 ヲシテトキオロシタルヲ見ニ、此千手陀羅尼ノ持者 也ケリ、浅猿トモ愚ニテ具シカヘリ、サマサマアツカヒ ケレハ、命ハカリハ生タリケレトモ、ホレホレトシテ云カ ヒナケレハ、行徳ホトコスニモ及ハス、是ハ彼僧ノ ススメルコトニハアラス、天魔ノ所為ナレトモ、愚ナル ヨリオコレル上、先ノ事ニ相似タル間注ス、是等ハサテ ヲキツ可然人ノ習トシテ、心ヲハカリ見ムタメニ、何 毎ヲモアラハニ見セ知セス、心ヲマハシテツクリモ 出シ、云モセラレタラムヲ、能々案シ廻シテ、不覚セ ヌヤウニ振舞ヘシ、万ニ付テ用意深シテ、人ノアサム/k114 キタハカラム事ナトヲモ、能々思慮スヘシ、其案ニ オツマシキ也、/k115