十訓抄 第六 忠直を存ずべき事 ====== 6の25 小野皇后宮二条東洞院の御所にて最勝王経を・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 小野皇后宮((藤原歓子・後冷泉天皇皇后))、二条東洞院の御所にて、最勝王経を書かせ給ひけるほどに、夕立して、神落ちて、御殿の内へ入りにけり。 宮は経を持たせ給ひながら、亡(ばう)せるがごとくにておはしけるに、神のぼり、雲晴れて、御目を開きて、御経を御覧じければ、空紙の所はみな焼けて、文字は一つも焼けず残りたりけり。また、奉りたる御衣どもは焦がれたりけれども、御身はつつがもおはしまさざりけり。 ===== 翻刻 ===== 廿八小野皇后宮二条東洞院ノ御所ニテ、最勝王経ヲ カカセ玉ヒケル程ニ、ユフタチシテ神オチテ御殿ノ内ヘ/k79 入ニケリ、宮ハ経ヲモタセ給ナカラ、亡セルカ如クニテ オハシケルニ、カミノホリ雲ハレテ、御目ヲ開テ御 経ヲ御覧シケレハ、空紙ノ所ハ皆ヤケテ、文字ハ一 モヤケス残タリケリ、又タテマツリタル御衣共ハコ カレタリケレトモ、御身ハツツカモオハシマササリケリ、/k80