十訓抄 第六 忠直を存ずべき事 ====== 6の9 橘良利は寛平法皇の世を遁れさせ給ふ時・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 橘良利は、寛平法皇((宇多天皇))の、世を遁れさせ給ふ時、同じく家を出でて、寛蓮大徳とて、修行の御供に候ひける。和泉国日根といふ所にて、詠みける。   古里(ふるさと)の旅寝の夢に見えつるは恨みやすらんまたもとはねは 円融院法皇、失せさせ給ひて、紫野に葬送ありけるに、一年、この所にて子の日せさせ給ひしことなど思ひ出でて、行成卿、かくぞ詠みける。   遅れじと常の御幸を急ぎしに煙(けぶり)にそはぬたびのかなしさ 出家まではなけれども、思ひ入れたる志、いと深く思ゆ。 ===== 翻刻 ===== 十一橘良利ハ寛平法皇ノ世ヲ遁サセ給時、同家 ヲ出テ寛蓮大徳トテ修行ノ御供ニ候ケル、/k41 和泉国日根ト云所ニテ読ケル、 古里ノタヒネノ夢ニミエツルハ、ウラミヤスラン マタモトハネハ 十二円融院法皇ウセサセ給テ、紫野ニ葬送アリ ケルニ、一年此所ニテ子日セサセ給シ事ナト思 出テ、行成卿カクソ読ケル、 オクレシトツネノミユキヲイソキシニ、ケフリニ ソハヌタヒノカナシサ 出家マテハナケレトモ、思入レタル志イトフカクオホユ/k42