十訓抄 第六 忠直を存ずべき事 ====== 6の8 良岑宗貞は深草天皇の近臣なり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 良岑宗貞は深草天皇((仁明天皇))の近臣なり。蔵人頭になりにける時、御門におくれ奉りければ、やがて頭おろしてけり。いづくともなく、行ひ歩(あり)きけり。初瀬山にて、妻、行きあひたりけれども、あらはれず。清水にては、小町((小野小町))にあやめられて逃げにけり。 さて、次の年、御門の御果ての日に当りて、殿上人ども、「御服脱がん」とて、河原に出でたりけるところに、   みな人は花の衣になりにけり苔の袂(たもと)よ乾きだにせよ と詠みて、柏の葉に書きて、あやしき童して、さし置かせたりけり。取りて見るに、良少将の手に見なして、「いづら」とて、使ひを尋ぬるに、見えざりけり。 さるほどに、後には僧正になりて、「花山の僧正遍昭」とぞいひける。 ===== 翻刻 ===== 十良峯宗貞ハ深草天皇ノ近臣也、蔵人頭ニ成ニ ケル時、御門ニオクレ奉リケレハ、ヤカテ頭オロシテ ケリ、イツクトモナク行ヒアリキケリハツセ山ニテ 妻行相ヒタリケレトモ、アラハレス、清水ニテハ小町/k40 ニアヤメラレテ逃ニケリ、サテ次ノ年御門ノ御 ハテノ日ニアタリテ、殿上人トモ御服ヌカントテ河 原ニ出タリケル所ニ、 ミナ人ハ花ノ衣ニナリニケリ、コケノタモトヨカハ キタニセヨ トヨミテ、柏ノ葉ニ書テアヤシキワラハシテサシヲ カセタリケリ、取テミルニ良少将ノ手ニミナシテ、イ ツラトテ使ヲ尋ニ、ミエサリケリ、サル程ニ後ニハ 僧正ニ成テ華山ノ僧正遍昭トソ云ケル、/k41