十訓抄 第六 忠直を存ずべき事 ====== 6の5 白壁皇子孫王の号はおはしませども員(かず)の外にて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 白壁皇子((光仁天皇))、孫王の号はおはしませども、員(かず)の外にて、位につき給(たも)うべくもなかりけるに、百川の宰相((藤原百川))、たがひに志深くおはしましければ、このことを歎きて、等身の梵天・帝釈の両像を作り奉りて、ねんごろに祈り申しければ、相違なく帝位に莅(のぞ)みて、桓武天皇と申しけり。この像を安置の寺、今の梵釈寺なり。 これら、やうこそかはれども、みな臣の助けによれり。すべて、忠臣といふ者、君のため名を惜みて命を惜しまぬ((底本「惜また」諸本により訂正。))なり。 蘇武は麒麟閣の功臣なり。塞垣((万里の長城のこと))にとらはれて十九年、つひに漢の節を失はず。鄭衆((底本「鄭泉」))は烏孫国の使者なり。胡地、隔たりて三千里、さらに単于を拝せざりき。樊於期は荊軻に頭をかし、紀信は沛公((劉邦))の身にぞかはりける。 「身は恩のためにつかはれ、命は義によりて軽し」といへる、これらなり。 ===== 翻刻 ===== 五白壁皇子、孫王ノ号ハオハシマセトモ、カスノ外ニテ 位ニ付タモウヘクモナカリケルニ、百河ノ宰相タカヒ ニ志深ク御座シケレハ、此事ヲ歎テ、等身ノ 梵天帝釈ノ両像ヲ作奉テ、懃ニ祈申ケレハ、 無相違帝位ニ莅テ、桓武天皇ト申ケリ、此像 ヲ安置ノ寺、今ノ梵尺寺也、是等様コソカハレト モ皆臣ノ助ニヨレリ、スヘテ忠臣ト云者君ノ為名 ヲ惜テ命ヲ惜マタ也、 六蘇武ハ麒麟閣ノ功臣也、塞垣ニトラハレテ十九 年、遂ニ漢ノ節ヲ失ハス、鄭泉ハ烏孫国ノ/k36 使者也、胡地ヘタタリテ三千里、更ニ単于ヲ拝 セサリキ、樊於期ハ荊軻ニ頭ヲ借シ、紀信ハ沛 公ノ身ニソカハリケル、身ハ恩ノ為ニツカハレ、命ハ義 ニヨリテ軽トイヘル此等也、/k37