十訓抄 第五 朋友を撰ぶべき事 ====== 5の13 唐国の斉の閔王の后は宿瘤といひて賤民の娘なり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 唐国(からくに)の斉の閔王の后は、宿瘤といひて賤民の娘なり。 野に行きて、桑を取りけるを、王、狩りに出で、見給ひけるに、桑のみ取りて、王の行幸(みゆき)を一目だに見ざりければ、あやしみて、ゆゑを問ひ給ふに、「われ、親の命によりて桑を取るばかりなり。行幸を見るべきこと、かの教へにあらず」と申しけり。「いかにも、ただものにあらず」と知り給ひて、たちまちにいざなひ給ひければ、「家に帰りて、父母にこの由を申して、ゆるされをかうぶりて後、宣にしたがふべし」と申しけり。 かくいみじき心だてによりて、賤(あや)しく、かたはなる身ながら、后となりにけり。 ===== 翻刻 ===== 十二カラ国ノ斉ノ閔王ノ后ハ宿瘤ト云テ賤民ノ娘 也、野ニ行テ桑ヲ取ケルヲ、王狩ニ出見給ケルニ、 桑ノミトリテ、王ノミユキヲ一目タニ見サリケレハ、 アヤシミテ故ヲ問給ニ、我オヤノ命ニヨリテ桑 ヲ取許也、ミユキヲ可見事彼教ニアラスト申 ケリ、何ニモタタモノニ非スト知給テ、忽ニイサナヒ 給ケレハ、家ニ帰テ父母ニ此由ヲ申テ、ユルサレヲ 蒙テ後宣ニ可随ト申ケリ、カクイミシキ心タテ ニヨリテ、アヤシクカタワナル身ナカラ后トナリニ/k19 ケリ/k20