十訓抄 第五 朋友を撰ぶべき事 ====== 5の7 伯牙鍾子期とは琴の友なり鍾子先立ちて失せにければ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 伯牙・鍾子期とは琴の友なり。鍾子、先立ちて失せにければ、「今は誰にか琴の音を聞き知られむ」とて、その絃をはづして弾かざりけり。先にいへる文選の文は、この意なり。 元稹((元居敬の誤り。))と楽天((白居易))とは詩の友にておはせしが、元稹、はかなくなりしかば、楽天、その作りたりし詩どもを三十巻集めて、唐の大教院の経蔵にぞ籠(こ)め置かれける。   遺文三十軸   軸々金玉声   竜門原上土   埋骨不埋名 とは、これを書かれたるなり。 楽天、また、ある文の友に寄せらるる詩にいはく、   交情鄭重金相似   詩韻清鏘玉不如 まことに佳友の交はり、何よりも面白くあるべし。阮家の南北の垣をも隔てず、貧をも恥ぢざりし、何ごとを契けん。孟母が子を思ふゆゑに、隣を三度まで替へけるも、友を選ぶ心、これまたとりどりなり。 友につきて、「断金・伐木の契りなり」などいふことあれども、人、みな口づけたるうへに、こと長ければ記さず。山鳥の鏡に向ひて鳴き、雁の行をなして飛ぶ、みな友を思ふ心なり。 佐保の河原の霧の中に、友まよはせる千鳥の夕暮の声、すごくこそ((底本「すごくぞ」。諸本により訂正。))聞こゆれ。さゆる入江の波の上に、番(つが)はぬ鴛鴦(おし)の浮寝も、下やすからぬ思ひのほど、「さこそは」とあはれなり。友なし小舟(をぶね)の、ほのかに漕ぎ行く明石の浦の島隠れ、友とする人少な((底本「すりな」。諸本により訂正。))かりける東路(あづまぢ)の八橋の渡り、これもこれも思ひやられて心細し。 そもそも、妹兄(いもせ)のなからひは、偕老同穴のゆゑありて、ただうちある友にはなずらへがたければ、妻を求むるには、上臈は品(しな)をも選ぶべし、つぎさまには見目(みめ)・品を先とすべからず。心を選ぶべきなり。 唐土(もろこし)の梁伯鸞が妻、孟光は、形きはめて醜かりけれども、夫につかへ随(したが)ふ道、二心なかりけり。夫、世を遁(のが)れて覇陵山に入りける時、ともにつき随ひて、家の貧しきをもあなづらず、斉眉の礼までもねむごろなるによて、夫、志深かりけり。 まことに、その姿、西施・南威をうつせりとも、夫を軽(かろ)しめ、外心あらんは、かへりてあだとなるべし。何の益かあらむ。秦中吟にいはく、   冨家女易嫁 嫁早軽其夫   貧家女難嫁 嫁晩孝於姑 などあれば、いみじく便りありても、夫のためなほざりならん女、よしなくこそ。 ===== 翻刻 ===== 六伯牙鍾子期トハ琴ノ友ナリ、鍾子先立テ失 ニケレハ、今ハ誰ニカ琴ノ音ヲキキシラレムト/k9 テ、其絃ヲハツシテ引サリケリ、サキニ云ヘル 文選ノ文ハ此意也 七元稹ト楽天トハ詩ノ友ニテオハセシカ、元稹ハ カナクナリシカハ、楽天其作リタリシ詩トモヲ 三十巻集メテ、唐ノ大教院ノ経蔵ニソ籠ヲ カレケル、 遺文三十軸、 軸々金玉声 竜門原上土、 埋骨不埋名 トハコレヲカカレタルナリ、 楽天又或文ノ友ニヨセラルル詩云、 交情鄭重金相似、 詩韻清鏘玉不如/k10 誠ニ佳友ノ交リ、ナニヨリモ面白アルヘシ阮家ノ 南北ノカキヲモ不隔、貧ヲモハチサリシ、何事 ヲ契ケン、孟母カ子ヲ思ユヘニ隣ヲ三度マテ カヘケルモ、友ヲ撰フ心コレ又トリトリ也、友ニ付 テ断金伐木ノ契也ナト云事アレトモ、人皆口 ツケタル上ニ、事ナカケレハシルサス、山鳥ノ鏡ニ向 テ鳴、雁ノ行ヲ成テトフ、皆友ヲ思フ心ナリ、 サホノ河原ノ霧ノ中ニ友マヨハセル千鳥ノユ フクレノコエスコクソキコユレ、サユル入江ノ波ノ 上ニ、ツカハヌオシノ浮ネモシタヤスカラヌ思 ノ程、サコソハト哀ナリ、友ナシヲフネノホノカニ/k11 コキ行明石ノ浦ノ島隠トモトスル人スリナカ リケルアツマチノ八橋ノワタリ彼モ此モ思ヤ ラレテ心ホソシ、抑イモセノナカラヒハ偕老 同穴ノユヘアリテ、只ウチアル友ニハナスラヘ カタケレハ、妻ヲ求ニハ上臈ハシナヲモ撰フ ヘシ、次サマニハミメシナヲサキトスヘカラス、心 ヲエラフヘキ也モロコシノ梁伯鸞カ妻孟 光ハ形極テミニクカリケレトモ、夫ニツカヘ随 フ道二心ナカリケリ、夫世ヲ遁テ覇陵山ニ 入ケル時、トモニツキ随テ家ノ貧ヲモアナツ ラス、斉眉礼マテモネムコロナルニヨテ、夫志深/k12 カリケリ、誠ニ其姿西施南威ヲウツセリトモ、 夫ヲカロシメ外心アランハカヘリテアタトナルヘ シ、何ノ益カアラム、秦中吟云 冨家女易嫁 嫁早軽其夫 貧家女難嫁 嫁晩孝於姑 ナトアレハ、イミシク便リ有テモ、夫ノタメナヲサ リナラン女ヨシナクコソスヘテ妻ヲ定ムル事/k13