十訓抄 第五 朋友を撰ぶべき事 ====== 5の1 河原左大臣の亡霊延長八年のころ寛平法皇の宮人に託し・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 河原左大臣((源融))の亡霊、延長八年のころ、寛平法皇((宇多法皇))の宮人に託し、われ在世の時、殺生をこととするによて、苦報を受くる由、申されければ、法皇、勅答ありて、そのために七ヶ寺にして、諷誦を修されけり。 御願文、紀在昌ぞ作りける。   朕昔為握符之尊。卿亦為和羹之佐。合体之儀、重於嚢時、滅罪之謀、須廻於今日。 ===== 翻刻 ===== 一河原左大臣亡霊延長八年之頃寛平法皇ノ 宮人ニ託シ我在世ノ時殺生ヲ事トスルニヨテ、苦報 ヲ受ル由申サレケレハ、法皇勅答アリテ其為ニ 七ヶ寺ニシテ諷誦ヲ被修ケリ御願文紀在昌/k4 ソ作ケル、 朕昔為握符之尊、卿亦為和羹之佐、合体之 儀重於嚢時、滅罪之謀須廻於今日、/k5