十訓抄 第四 人の上を誡むべき事 ====== 4の17 公任卿の家にて三月尽の夜人々集めて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 公任卿((藤原公任))の家にて、三月尽の夜、人々集めて、「暮れぬる春を惜しむ心」の歌を詠みけるに、長能((藤原長能))、   心憂き年にもあるかな二十日(はつか)あまり九日(ここぬか)といふに春の暮れぬる 大納言((藤原公任))、うち聞て、思ひもあへず、「春は三十日やはある」と言はれたりけるを聞きて、長能、披講をも聞き果てず出でにけり。 さて、またの年、病をして、「限りなり」と聞きて人を遣はしたれば、悦(よろこ)びて、「承はり候ひぬ。この病、去年三月尽の日、『春は三十日やはある』と仰られ候ひしに、『心憂きことかな』と承はりしが、病となりて、その後、もの食はれ侍らざりしより、かくなりて侍るなり」と申して、さてその日失せにけり。大納言、ことのほかに歎かれける。 これは、「かくほどあるべし」とは思ひ給はざりけれども、さばかり思はむ□□□□ある身にて((「さばかり」以下、流布本「さばかり思はむとも知らず」))、何となく、口疾く難ぜられたりける。いと不便なりしか。 ===== 翻刻 ===== 公任卿ノ家ニテ、三月尽ノ夜人々アツメテ暮ヌル春 ヲ惜ム心ノ哥ヲ読ケルニ、長能 心ウキ年ニモ有カナ廿日アマリ、九日トイフニ春ノ暮ヌル、 大納言ウチ聞テ、思モアヘス春ハ卅日ヤハアルトイハ/k170 レタリケルヲ聞テ、長能披講ヲモ聞ハテス出ニケリ、 サテ又ノ年病ヲシテ限也ト聞テ人ヲ遣シタレハ、悦 テ承候ヌ、此病去年三月尽ノ日春ハ卅日ヤハアル ト仰ラレ候シニ、心ウキ事哉ト承シカ病ト成テ、其 後物クハレ侍ラサリシヨリ、カク成テ侍也ト申テ、 サテ其日失ニケリ、大納言事外ニ歎カレケル、是ハ カク程有ヘシトハ思給ハサリケレトモ、サハカリ思ハ ム    アル身ニテ何トナク口トク難セラレタ リケル、イト不便ナリシカ、/k171