十訓抄 第四 人の上を誡むべき事 ====== 4の12 左京大夫顕季新院に参りたりけるに百首詠むやうは習ひたるかと・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 左京大夫顕季((藤原顕季))、新院((崇徳上皇))に参りたりけるに、「百首詠むやうは習ひたるか」と仰せごとありければ、「習ひたること候はず」と申しければ、「まことにや、『百首には、同じ五文字の句をば詠まぬなる』と聞くは、いかん」と問はせ給ひければ、大夫、「いかが候ふらん。百首まで詠むものなれば、候ひもやすらん」と申されけるに、「公行((藤原公行))がさ言ふなる」と仰せられければ、立ち帰りて、堀河院百首、引き見るに、春宮大夫公実卿((藤原公実))の歌に、「薄(すすき)」・「苅萱(かるかや)」の両題に、「秋風」といふ上降(かみおろし)の句、さし並びてありけり。 両首を紙に書きて、九月十三夜、御会に参り会ふに、公行卿に、「これはいかに」とみ見せければ、閉口せられけり。 公行卿は公実卿の孫なり。これは、人をさして難じたるにはあらねども、ことがら同前か。 ===== 翻刻 ===== 左京大夫顕季新院ニ参タリケルニ、百首読ヤウハ 習タルカト仰事有ケレハ、習タル事候ハスト申ケ レハ誠ニヤ百首ニハ同シ五文字ノ句ヲハ読ヌナルト聞ハ 如何ト問セ給ヒケレハ、大夫イカカ候ラン百首マテ読物ナ/k163 レハ候モヤスラント申サレケルニ、公行カサ云ナルト被仰 ケレハ、立帰テ堀河院百首ヒキミルニ、春宮大夫公実 卿ノ哥ニ、ススキ苅萱ノ両題ニ秋風ト云カミオロシ ノ句指並テ有ケリ、両首ヲ紙ニ書テ九月十三 夜御会ニ参会ニ公行卿ニ是ハ如何ニトミセケレハ、閉口 セラレケリ、公行卿ハ公実卿ノ孫也、是ハ人ヲサシテ難シ タルニハアラネトモ、コトカラ同前歟、/k164