十訓抄 第四 人の上を誡むべき事 ====== 4の3 堀河院の御時中宮の御方に半物に砂金といひて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 堀河院の御時、中宮の御方に、半物(はしたもの)に砂金といひて、双(ならび)なき美女ありけり。兵庫頭源仲正なん思ひける。 その時、殿の前駈の人々、鴨井殿に集まりて、酒飲みけるついでに、ある人、かの砂金がことを語り出だして、「一日、内裏にてねり出でたりし、かぎりあれば天人もこれには勝らじとこそ見えしか。世にあらば、かやうなる者をこそ、この世の思ひ出にもせまほしけれ」と言ふ。「鬼・ここめをも物ならず思へる武士は、恐しきものぞ。思ふともかなふべからず。無沙汰にてありなん」と言ふ。 佐実((藤原佐実))といふ人、さかしだちたる本性にて、「いなや、武士も女の方には惚るるものなり。おのれは盗まむとだに思はば、仲正、いかに守るとも、それに礙らじ」と言ふより、何をあたとか思ひけん、仲正がことを、嘲り、をこづくやうに言ひければ、かたへは言葉少なにてやみにけり。 このこと、誰か中言したりけむ。仲正、かへり聞きて、「やすからぬことなり。男ども、いかがすべき。彼、弓矢の本末知らず。敵にあらねば、よしなきことなれど、さりとて、さて止むにはやすからず。ことがらばかり脅さんと思ふなり」と言ひ合ひければ、「いとやすきことなり」とて、夕闇のころ、殿より出でけるを待ちうけて、車より引き落して、「さること言はじや」と、怠状せさせてゆるしてけり。 これを、仲正が郎等の中に、ことにものの心も知らず、情けも哀れもかへりみぬ、田舎武者の一人ありけるが、このことをのちに伝へ聞きて、馬にて馳せ来にけるが、今起き上がりて小家に這ひ入らむとしける時、行き合ひて、何ともいはせず、髻(もとどり)を押し切りて、仲正がもとに行きて、「これ奉らん」と言ひければ、仲正、「かほどは思はず。不思議のことしたり」と言ひながら、かひなきことなれば、さて止みぬ。 このこと、佐実こそ、わが身のため思ひて、口より外(と)へも出ださねど、かばかりのこと、さて止まむやは。院、聞こしめして、下手人なと召されて、きびしく御沙汰あるほどに、「佐実、髻切られにけり」といふこと聞きけるを、ぬしも仲正もあらがひ申しけるによて、重き罪にはあたらざりけれど、「切りたる者、某」とたしかに聞こしめして、その郎等を召すに、跡(あと)をくらみて失せぬ。 仲正、力及ばさりけれは、院、聞こしめしわづらひて、その時、盛重((藤原盛重))が検非違使にて候ひけるを、「この髻切りたりといふ男、かまへて捕へて参らせよ」と仰せられければ、承りて、内々彼がゆかりを尋ねて、母の尼公が家を暁夕晩ごとにうかがひけり。 かかるほどに、あるあさぼらけに、法師の、女の姿をして門を叩くことあり。「これ、ただにはあらじ」と、あやめて、やがて搦(から)めてこれを問ふに、「われはあやまたず。かの人の在所は、清水坂のしかじかの所なり。その便りにまうで来たりたるばかりなり」と、あわて騒ぎければ、「わ法師をいかにもすべきにはあらず。かしこの知るべき料(れう)なり」とて、「ほど経ば、かへりもぞ聞く」とて、やがてうち立ちて、搦めに行くに、かしこに思ひも寄らぬほどなりければ、わづらひなく搦めて帰る。 盛重、思ふやうは、「六波羅に刑部卿忠盛((平忠盛))居れたり。そのかたはらを過ぎば、奪はれなむず。をこのことになりなむず」と思ひて、すずろなる法師を捕へて、をかしき者になして、そなたへやりつ。真の者をば、人少なにて、祇園中路といふかたより、しのびやかに遣(や)りてけり。さりけれど、忠盛、よしなくや思はれけむ、たた過してけり。 その時、清水の大衆、起(おこ)りて、「この御寺の辺にて((底本「辺てて」。諸本により訂正。))そぞろに人を搦むること、昔よりこれなし。たとひ犯しの者なりとも、別当に触れてこそ搦められめ((底本「かかめられめ」。諸本により訂正。))」と、集まり群がりて、いかにも通さじとしければ、わづらはしくて、懐(ふところ)より畳紙に文を作りて、さし出だして言ふやう、「いかでか、触れ奉らでは搦め侍らむ。『それにかへり聞せじ』と隠しつれば、披露はせず。この暁、別当のもと((底本「もと」は平仮名))へ触れたりつる請文、これにあり」とて、さし出だしたれば、「さては左右に及ばず」とて通してけり。 この次第、院、聞こしめして、まことに感じ思しめされけり。 この男、召し問はれければ、あらがはず、「切り候ひにき」と申しけるを、佐実も当時こもりゐねば、聞こしめさまほしう思しめして、また盛重に、「この佐実が髻切られ、さること、たしかに実否見て参りなむや」と仰せらるるに、「ことにも侍らず」と申して、出でざまに、北面に泰忠候ひけるを、「いざ給へ。人のもとへ酒飲みにまかるに、ともなひ給へ」と言ひければ、時の切り者なれば、「うれし」と思ひて、相ひ具して行く。 「いづくならむ」と思ふほどに、この佐実かもとへ行きて、ことのついで作り出でて、さまざまのこと言ひ合はせ定むるほどに、二時ばかりになりにけり。主(あるじ)、酒取りて飲ませけるほどに、われも人も興に入りて、主、「土器(かはらけ)さす」とて、恐れたるよしして、瓶子取りて、悪しく振舞へるやうにて、烏帽子を突き落しつ。あやまちしたる面作(つらつく)りして、もて騒ぎて見れば、めぐりを美しう編みて、烏帽子を着たるなり。泰忠に目くばせしければ、その時ぞ、この証人のために誘ひけると心得てける。盛重は「ゆゆしきあやまちしたり」と、恐れくるめく。 ことさめぬれば、帰り参りて、このよしを申して、「某証人のためにあひ具して侍る」と奏しければ、「一人まかりたりとも、疑ひ思しめすまじけれど、証人具したること、ことに厳重なり」と御感ありけり。 さて、仲正、罪ことに重くなりにけり。かかれども、なほ佐実、あらがひけるやうにて、出仕しありきけるを、人笑ひけれど、さてのみ過ぎけり。 そのころ、花園大臣(はなぞののおとど)((源有仁))、いまだ官(つかさ)も浅くおはしけるに、文の御師にて、博士敦正といひける者参りけり。才覚、いと品(しな)ありけるにや。 この佐実、花園殿に参りて、物語申しけるついでに、「御文のこと候はん時は、佐実を召され候ふべきものを。敦正にはよも劣り候はじ」とて、彼が浅きことどもを申しければ、心得ず覚えながら、あひしらひ給ふに、まこととや思ひけん、「かたじけなく候ふ」とて、「いみじき秀句をこそ思ひより侍れ」と聞こゆ。「いと興あることかな。いかに」と問ひ給ふに、  有花有花(花有り花有り)  敦正山之春霞紅(敦正山の春霞紅なり) と言ふ。主の殿、笑ひ給ひて、「いみじき秀句なり」と感じ給ひければ、しえたりと思ひてまかり出でぬ。かくいふは、敦正が鼻の赤かりければ((底本、「しえたり」から「赤かりければ」まで脱文。諸本により補入。))、をこづくなりけり。 殿さすがに((「殿さすがに」は底本空白。諸本により補入。))心づきなく思えて、敦正が参じたりけるにこそ、次第語らせ給ひければ、大きに怒りて、「われ、弓矢取る身にて候はば、仲正がやうに泣い目をも見すべし((底本「みせべし」))。憤り深く侍れども、ことに身に似ぬわざなり。この下句をこそ付け侍らめ」とて、  無鳥無鳥(鳥無し鳥無し)  佐実園之冬雪白(佐実園の冬雪白し) とぞ付けたりける。主、みじく感じ給ひけり。 世の人、そのころ物語にして、興じて遊びけり。 ===== 翻刻 ===== 堀河院ノ御時、中宮御方ニ半物ニ砂金ト云テ双ナ キ美女有ケリ、兵庫頭源仲正ナン思ケル、其時殿 前駈ノ人々、鴨井殿ニ集テ酒飲ケル次ニ、或人カノ砂 金カ事ヲ語出シテ一日内裏ニテネリ出タリシ限 アレハ天人モ是ニハマサラシトコソ見エシカ、世ニ有ハカヤ ウナルモノヲコソ、此世ノ思出ニモセマホシケレト云、鬼ココ メヲモ物ナラス思ヘル武士ハ恐シキ物ソ思トモカナフ/k145 ヘカラス、無沙汰ニテ有ナント云、佐実ト云人サカシタチ タル本性ニテ、イナヤ武士モ女ノ方ニハホルルモノ也、己ハヌ スマムトタニ思ハハ、仲正何ニ守ルトモ其ニ礙ラシト云ヨ リ何ヲアタトカ思ケン、仲正カ事ヲアサケリオコツ クヤウニ云ケレハ、カタヘハ詞少ニテ止ニケリ、此事誰カ 中言シタリケム、仲正還聞テ安カラヌ事也男コト モイカカスヘキ、彼弓矢ノ本末知ス敵ニアラネハヨシ ナキ事ナレト、サリトテサテ止ニハヤスカラスコトカラ ハカリオトサント思也ト云合ケレハ、イト安キ事ナリ トテ、夕闇ノ頃殿ヨリ出ケルヲ待請テ、車ヨリヒ/k146 キ落テ、サル事イハシヤト怠状セサセテユルシテケリ、 此ヲ仲正カ郎等ノ中ニ、コトニ物ノ心モ知ス情モ哀モ カヘリミヌヰ中武者ノ一人有ケルカ、此事ヲ後ニ伝 聞テ馬ニテ馳来ケルカ、今オキアカリテ小家ニハヒ入ム トシケル時行合テ、何トモ云セス、本鳥ヲ押切テ、仲 正カ許ニ行テ是奉ラント云ケレハ、仲正カホトハ思ハス 不思議ノ事シタリト云ナカラ、甲斐ナキ事ナレハサ テ止ヌ、此事佐実コソ我身ノタメ思テ、口ヨリトヘモ 出サネト、カハカリノ事サテヤマムヤハ、院聞召テ下手 人ナト召レテ、キヒシク御沙汰アルホトニ、佐実本鳥/k147 切ラレニケリト云事聞ケルヲ、ヌシモ仲正モアラカヒ 申ケルニヨテ、重キ罪ニハアタラサリケレト、切タル者 某ト慥ニ聞召テ、其郎等ヲ召ニ、跡ヲクラミテ失 ヌ、仲正力及ハサリケレハ、院聞召煩テ、其時盛重カ 検非違使ニテ候ケルヲ、此本鳥切タリト云男構テ トラヘテ参ラセヨト仰ラレケレハ、承リテ内々彼カユ カリヲ尋テ、母ノ尼公カ家ヲ暁夕晩コトニ伺ケリ、 カカル程ニ或アサホラケニ法師ノ女ノ姿ヲシテ門 ヲ叩事アリ、是タタニハ非シトアヤメテ、ヤカテ搦テ 是ヲ問ニ、我ハアヤマタス、彼人ノ在所ハ清水坂ノシ/k148 カシカノ所也、其便ニマウテキタリタル許也ト、アハテ サハキケレハ、ワ法師ヲイカニモスヘキニハ非ス、彼コ ノ知ヘキ料也トテ、程ヘハカヘリモソ聞トテ、ヤカテ 打立テカラメニ行ニ彼コニ思モ寄ヌ程ナリケレハ、 煩ナクカラメテ帰ル、盛重思ヤウハ、六波羅ニ刑部 卿忠盛居ラレタリ、其傍ヲ過ハウハハレナムス、オコノ 事ニ成ナムスト思テ、ススロナル法師ヲトラヘテ、 オカシキモノニ成テ、ソナタヘヤリツ、真ノ者ヲハ人 少ニテ祇薗中路ト云方ヨリ、忍ヒヤカニ遣リテ ケリ、サリケレト忠盛ヨシナクヤ思ハレケム、タタス/k149 コシテケリ、其時清水大衆起テ此御寺ノ辺テテソ ソロニ人ヲカラムル事、昔ヨリ是ナシ、仮ヒ犯シノ者ナ リトモ、別当ニフレテコソカカメラレメト、集群リテ、 イカニモ通サシトシケレハ、煩シクテ懐ヨリ畳紙ニ 文ヲ作テサシ出テ云ヤウ、争カ触奉ラテハカラ メ侍ラム、ソレニカヘリ聞セシト隠シツレハ披露ハセス、此 暁別当ノもとヘ触タリツル請文是ニ有トテサシ出 シタレハ、サテハ左右ニ及ハストテ通シテケリ、此次第 院聞召テ、誠ニ感シ思召レケリ、此男メシ問レケレハ、 アラカハス切候ニキト申ケルヲ、佐実モ当時コモリ/k150 ヰネハ、聞召マホシウ思召テ、又盛重ニ此佐実カ本鳥 切ラレサル事、慥ニ実否見テ参ナムヤト仰ラルルニ事 ニモ侍ラスト申テ出サマニ、北面ニ泰忠候ケルヲ、イサ 給ヘ人ノ許ヘ酒飲ニ罷ルニ伴給ヘト云ケレハ、時ノキ リモノナレハ、ウレシト思ヒテ相具テユク、イツクナラム ト思フ程ニ、此ノ佐実カ許ヘ行テ事ノ次作出テ、サ マサマノ事云合定ル程ニ、二時ハカリニ成ニケリ、主シ 酒取テ飲セケルホトニ、我モ人モ興ニ入テ主シカハラ ケサストテ恐タルヨシシテ瓶子取テアシク振舞ヘ ルヤウニテ、烏帽子ヲツキ落シツ、誤シタルツラツ/k151 クリシテ、モテサハキテ見レハ、メクリヲウツクシウ 編テ、烏帽子ヲ服タル也泰忠ニ目クハセシケレハ其 時ソ此ノ証人ノタメニサソヒケルト心得テケル、盛重ハ ユユシキ謬チシタリト恐クルメク事サメヌレハ帰 参テ此由ヲ申テ、某証人ノタメニ相具テ侍ルト奏 シケレハ、一人罷タリトモ疑オホシメスマシケレト証人具 タル事殊厳重也ト御感有ケリ、サテ仲正罪コトニ 重ク成ニケリ、カカレトモ猶佐実アラカヒケルヤウニテ 出仕シアリキケルヲ、人咲ヒケレトサテノミ過ケリ、其頃 花薗ノオトト、イマタツカサモ浅クオハシケルニ、文御師/k152 ニテ博士敦正ト云ケル者参ケリ、才覚イトシナ有ケ ルニヤ、此佐実花薗殿ニ参テ物語申ケル次ニ、御文ノ事 候ハン時ハ佐実ヲ召サレ候ヘキ物ヲ、敦正ニハヨモ劣リ 候ハシトテ、彼カ浅事共ヲ申ケレハ、心得ス覚ナカラアヒシ ラヒ給ニ実トヤ思ケン忝候トテ、イミシキ秀句ヲコソ思 寄侍レト聞ユ、イト興アル事哉イカニト問給ニ、有花 有花敦正山之春霞紅ト云フ、アルシノ殿笑給テ、イミシキ 秀句也ト感給ケレハ、オコツクナリケリ、   心ツキナク オホエテ、敦正カ参シタリケルニコソ、次第語セ給ケレハ、大 ニ怒テ我弓箭トル身ニテ候ハハ、仲正カヤウニナヒ目/k153 ヲモミセヘシ憤リ深ク侍レトモ、事ニ身ニ似ヌワサ也、此 下句ヲコソ付侍ラメトテ、無鳥々々佐実園之冬雪 白トソ付タリケル、アルシイミシク感給ケリ、世人其頃 物語ニシテ興シテ遊ケリ、/k154