十訓抄 第三 人倫を侮らざる事 ====== 3の7 大原聖たち四五人ばかりつれて高野へ参りけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 大原聖たち、四五人ばかりつれて、高野へ参りけるに、河内国石川郡に留りにけり。家主(いへあるじ)は紺の直垂ばかり着て、袴は着ず。ことのほかに経営して、よき筵・畳なと取り出だして敷きけり。 日のいまだ高かりければ、聖一人((底本、「俊成卿息円寂房」と割注。))、止観((摩訶止観))を取り出でて復しけり。主(あるじ)の僧、寄りて、「なに文にか」と問ひければ、「止観と申す文なり。ただし四巻にはあらず」と言ひければ、重て言ふことはなくて、   此之止観天台智者、 説己心中所行法門 と忍びやかに誦しければ、その時、聖たち、顔を赤め舌を巻きてやみにけり。 この僧は、もとは山僧なりけるが、世間に落ちて、縁にふれてこの所に留りにけり。 ===== 翻刻 ===== 大原聖達四五人ハカリツレテ高野ヘ参ケルニ、河内 国石川郡ニ留ニケリ、家主ハ紺ノ直垂斗着テ袴 ハキス、事ノ外ニ経営シテ、ヨキ筵畳ナト取出シテ シキケリ、日ノイマタ高カリケレハ、聖一人(俊成卿息円寂房)止観 ヲ取出テ復シケリ、アルシノ僧ヨリテナニ文ニカト問 ケレハ、止観ト申文也但四巻ニハ非スト云ケレハ、重テ 云事ハナクテ、 此之止観天台智者、 説己心中所行法門 ト忍ヒヤカニ誦シケレハ、其時聖達カホヲ赤メ舌ヲマキ/k120 テヤミニケリ、此僧ハモトハ山僧ナリケルカ、世間ニオチ テ縁ニフレテ此所ニ留ニケリ、/k121