十訓抄 第三 人倫を侮らざる事 ====== 3の6 なま宮仕へする女房の清水に籠りたる局の前に・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== なま宮仕へする女房の、清水に籠りたる局の前に、色白ばみたる尼の、影のごとく痩せ衰へたるが出できて、物乞ひ歩(あり)くありけり。 十月ばかりに、破(や)れたる帷(かたびら)の上に、蓑を重ねて着たりければ、見る者、「あら、いみじのさまや。雨も降らぬに、など蓑をば着たるぞ」と問ふ。「これよりほかに持ちたる物はなし。寒さは堪へがたし。術なくて」など答ふるに、「暖まりあるべしとこそ思えね」と言ひて、かたへは笑ひけり。 菓子など取らせたれば、うち食ひつつ立ちけるを、いかが思ひけむ、呼び返して、「単衣(ひとへ)を一つなん」と押し出したりけるを、悦びて取りて去ぬと思ふほどに、やがて同寺に奉加する所へ行きて、筆を乞ひて、いと美しき手にて、この歌を書きて、単衣を置きて、いづちともなく隠れにけり、   彼の岸をこぎ離れにしあまなれば押してつくへきうらもおぼえず ある人の家に入りて、物乞ひける法師に、女の箏弾きて居たるが、「これを今日の布施にて、帰りね((底本「かへれね」。諸本により訂正。))」と言ひければ、   ことといはばあるじながらも得てしがなねは知らねどもひきこころみん 「この乞者は三形沙弥なり」と人言ひけり。 ===== 翻刻 ===== ナマ宮ツカヘスル女房ノ、清水ニ籠タル局ノ前ニ色白 ハミタル尼ノ、カケノ如ク痩衰ヘタルカ出キテ物乞ア リク有ケリ、十月ハカリニ、ヤレタル帷上ニ蓑ヲ重テ 着タリケレハ、見ルモノアライミシノサマヤ、雨モフラヌニ、 ナト蓑ヲハキタルソトトフ、是ヨリホカニモチタル物ハ ナシ、寒サハ堪カタシ術ナクテナト答フルニ、アタタマリ/k118 アルヘシトコソ覚ネト云テ、カタヘハ咲ヒケリ、菓子ナト 取セタレハ、ウチ食ツツ立ケルヲ、イカカ思ケム、ヨヒ返シ テヒトヘヲ一ナントヲシ出シタリケルヲ、悦テ取テイヌト 思程ニ、ヤカテ同寺ニ奉加スル所ヘユキテ、筆ヲ乞テ イトウツクシキ手ニテ、此哥ヲ書テ、ヒトヘヲ置テイ ツチトモナクカクレニケリ、 カノキシヲコキハナレニシアマナレハ、ヲシテツクヘキウラモ覚エス、 或人ノ家ニ入テ物乞ケル法師ニ、女ノ箏ヒキテヰタ ルカ、コレヲ今日ノ布施ニテカヘレネト云ケレハ、 コトトイハハアルシナカラモエテシカナ、ネハ知ネトモヒキ心ミン、/k119 此ノ乞者ハ三形沙弥ナリト人云ケリ、/k120