十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の57 われその能ありと思へども・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 「われ、その能あり」と思へども、人々にゆるされ、世に所置かるるほどの身ならずして、人のしわざも讃めんとせむことをも、いささか用意すべきものなり。 三河守知房((藤原知房))所詠の歌を、伊家弁((藤原伊家))、感歎して、「優に詠み給へり」と言ひけるを、知房、腹立して「詩を作ることは敵(かたき)にあらず。和歌の方は、すこぶる彼に劣れり。これによりて、かくのごとく言はるる。もつとも奇怪なり。今より後、和歌を詠むべからず」と言ひけり。 優の詞(ことば)も、事によりて斟酌すべきにや。 これは、勝れるが申し讃(ほ)むるをだに、かく咎めけり。いはんや、劣らむ身にて、褒美、なかなか、かたはらいたかるべし。よく心得て、心操をもて、しづむべきなり。 「人の善をも言ふべからず。いはんや、その悪をや」。この意、もっとも神妙か。 ただし、人々、遍昭寺にて、「山家秋月」といふことを詠みけり。その中に、範永朝臣((藤原範永))、蔵人たる時の歌、   住む人もなき山里の秋の夜は月の光もさびしかりけり とありけり。件(くだん)の懐紙の草案どもを、定頼中納言((藤原定頼。藤原公任の子))、取りて、公任卿((藤原公任))出家して居られたる、北山長谷といふ所につかはしたりければ、範永が歌を深く感じて、かの歌の端(はし)に、「範永誰人哉。得其体」と、自筆にて書きつけられたりけるを、範永、情感にたへず、その草案乞ひ取りて、錦袋に入て宝物として持ちたりけり。 これこそ称美のかひありと聞こゆれ。かやうのことは、よくいたれる人のすべきなり。 ===== 翻刻 ===== ル女房也、我其能アリト思ヘトモ、人々ニユルサレ世ニ所/k98 ヲカルル程ノ身ナラスシテ、人ノシハサモホメントセム事 ヲモイササカ用意スヘキ物也、 三河守知房所詠ノ哥ヲ伊家弁感歎シテ優ニ ヨミ給ヘリト云ケルヲ知房腹立シテ詩ヲ作事ハ カタキニ非ス、和歌ノ方ハ頗彼ニヲトレリ、是ニヨリ テ如此イハルル、尤奇怪ナリ、今ヨリ後和哥ヲヨム ヘカラスト云ケリ、優ノ詞モ事ニヨリテ斟酌スヘ キニヤ、是ハマサレルカ申ホムルヲタニ、カクトカメケリ、 況ヤヲトラム身ニテ褒美、中々片腹痛カルヘシ、ヨク 心得テ心操ヲモテシツムヘキ也人ノ善ヲモ云ヘカラ/k99 ス、況ヤ其悪ヲヤ、此意尤神妙歟、但人々遍昭寺ニテ 山家秋月ト云事ヲ読ケリ、其中ニ範永朝臣蔵人 タル時ノ哥、 住人モナキ山里ノ秋ノ夜ハ、月ノヒカリモサヒシカリケリ トアリケリ、件懐紙ノ草案共ヲ、定頼中納言トリ テ、公任卿出家シテ居ラレタル北山長谷ト云所ニ遣シ タリケレハ、範永カ哥ヲ深感シテ、彼哥ノハシニ、範永 誰人哉得其体ト自筆ニテ書ツケラレタリケルヲ、 範永情感ニタヘス其草案乞取テ、錦袋ニ入テ宝物 トシテ持タリケリ、是コソ称美ノカヒアリト聞レカ/k100 ヤウノ事ハヨクイタレル人ノスヘキ也、/k101