十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の48 また詩歌につけて異名など付けらるることあり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== また、詩歌につけて異名など付けらるることあり。 治部卿能俊((源能俊))は、白河院の鳥羽殿の御会に、   月の中なる月をこそ見れ と詠みて、「天変の少将」といはれけり。 中納言親経卿((藤原親経))は、後鳥羽院詩歌合に、   月自家山送我来 と作りて、「山送の弁」とぞ付けられける。 かやうのこと、よく心得べし。同じ異名なれども、「さむるうつつの少将」・「待宵の小侍従」など付けられたるは、優に思ゆかし。 ===== 翻刻 ===== モリナカラ頓死セサセ給ニケルトソ、又詩哥ニツケ テ異名ナトツケラルル事アリ、治部卿能俊ハ白河院 鳥羽殿ノ御会ニ月ノ中ナル月ヲコソ見レトヨミテ、天 変ノ少将ト云レケリ、 中納言親経卿ハ後鳥羽院詩哥合ニ、月自家山送我 来ト作テ、山送ノ弁トソ付ラレケル、加様ノ事ヨク 心ウヘシ、同異名ナレトモ、サムルウツツノ少将待ヨヰノ小/k91 侍従ナトツケラレタルハ、優ニ覚ユカシ、越度モサル事/k92