十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の45 藤原惟規は世の数奇者なり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 藤原惟規は世の数奇者(すきもの)なり。父の越後守為時にともなひて、かの国へ下りけるほどに、重く煩ひけるが、   京にも恋しき人のあまたあればなほこのたびはいかんとぞ思ふ と詠みたりけれども、いとど限りにのみ見えければ、父の沙汰にて、ある山寺より知識の僧を呼びたりけるが、中有の旅の有様、心細きやうなど言ひて、「これにやすらはで、ただちに浄土へ参り給へ」など言ひ聞かせけり。 「中有とはいかなる所ぞ」と病人問ひければ、「夕暮の空に広き野に行き出でたるやうにて、知れる人もなくて、ただ独り心細くまかり歩くなり。倶舎には『欲往前路無資糧。求住中間無所止』と申したる」と答ふるを聞きて、「その野には、嵐にたぐふ紅葉、風になびく尾花がもとに、松虫・鈴虫鳴くにや。さだにもあらば、何かは苦しからん」と言ふ。これを聞きて、あいなく、心づきなく思えければ、僧、逃げ走り、逃げにけり。 この歌のはての「ふ((底本「そ」。諸本により訂正。))」文字をば、え書かざりけるを、さながら都へ持て帰り、親どもいかにあはれに悲しかりけむ。 ===== 翻刻 ===== 藤原惟規ハ世ノスキモノ也、父ノ越後守為時ニトモナ ヒテ彼国ヘ下ケル程ニ重ク煩ヒケルカ、 京ニモ恋シキ人ノアマタアレハナヲコノタヒハイカントソ思フ トヨミタリケレトモ、イトト限ニノミ見エケレハ、父ノサタ ニテ或山寺ヨリ知識ノ僧ヲヨヒタリケルカ、中有ノ/k87 旅ノ有様心ホソキヤウナト云テ、コレニヤスラハテ直ニ 浄土ヘ参リ給ヘ、ナト云聞セケリ、中有トハイカナル 所ソト病人問ケレハ、夕暮ノ空ニヒロキ野ニユキイ テタル様ニテ、シレル人モナクテ、タタ独心細クマカリア リク也、倶舎ニハ欲往前路無資糧求住中間無所 止ト申タルト答ルヲ聞テ、其ノ野ニハ嵐ニタクフ紅葉 風ニナヒク尾花カモトニ、松虫鈴虫鳴ニヤ、サタニモアラ ハ何カハ苦シカラント云、是ヲ聞テアイナク心ツキナ ク覚エケレハ、僧逃走リニケニケリ、此哥ノハテノソ 文字ヲハエカカサリケルヲ、サナカラ都ヘモテカヘリ、オ/k88 ヤトモイカニ哀ニ悲シカリケム、/k89