十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の38 堀河院の御時勘解由次官明宗とていみじき笛吹きありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 堀河院の御時、勘解由次官明宗とて、いみじき笛吹きありけり。ゆゆしき心おくれの人なり。 院、「笛聞こしめされむ」とて、召したりける時、御門の御前と思ふに、臆して、わななきて、え吹かさざけり。 「本意なし」とて、相ひ知れりける女房に仰せられて、「私に坪(つぼ)のほとりに呼びて吹かせよ。われ立ち聞かん」と仰せありければ、月の夜、かたらひ契りて吹かせけり。女房の聞くと思ふに、はばかる方なくて、思ふさまに吹きける。世にたぐひなく、めでたかりけり。 御門、感に堪へさせ給はず、「日ごろ、上手とは聞こしめしつれども、かくほどまでは思しめさず。いとどこそめでたけれ」と仰せ出だされたるに、「さは、御門の聞こしめしけるよ」と、たちまちに臆して騒ぎけるほどに、縁より落ちにけり。「安楽塩」といふ異名を付きにけり。 昔、秦舞陽が始皇帝を瞻(み)奉りて、色変じ身振ひたりけるは、逆心を包みえざりけるゆゑなり。明宗((底本「顕宗」))、何によりて、さしもあはてけると、をかし。 天徳の歌合に、博雅三位((源博雅))、講師つとむるに、ある歌を読み誤りて、色変じ声ふるひけるよし、かの時の記に見えたり。 かやうのこと、上古のよき人も力及ばぬことなり。 ===== 翻刻 ===== 堀河院御時勘解由次官明宗トテイミシキ笛吹有 ケリ、ユユシキ心ヲクレノ人也院笛聞シメサレムトテ 召タリケル時、御門ノ御前ト思ニ臆シテ、ワナナキテ/k72 エ吹サリケリ、本意ナシトテ相知レリケル女房ニ仰 レテ、私ニツホノ辺ニヨヒテ吹セヨ、ワレ立キカント仰有 ケレハ月ノ夜カタラヒ契テフカセケリ、女房ノ聞ト 思ニハハカル方ナクテ思サマニ吹ケル、世ニタクヒナク目 出カリケリ、御門感ニ堪サセタマハス、日来上手トハ 聞召ツレトモ、カクホトマテハ思食ス、イトトコソ目出ケ レト仰出サレタルニ、サハ御門ノ聞召ケルヨト忽ニ臆シ テサハキケル程ニ、縁ヨリ落ニケリ、安楽塩ト云異 名ヲ付ニケリ、昔秦舞陽カ始皇帝ヲ瞻奉リテ 色変シ身振ヒタリケルハ、逆心ヲツツミエサリケル/k73 故也顕宗何ニヨリテサシモアハテケルトオカシ、 天徳ノ哥合ニ博雅三位講師ツトムルニ或哥ヲ読 アヤマリテ、色変シ声振ヒケル由彼時ノ記ニ見タ リ、加様ノ事上古ノヨキ人モ力及ハヌ事也、/k74