十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の26 成範卿事ありて召し返されて内裏に参りたりけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 成範卿((藤原成範))、事ありて召し返されて、内裏に参りたりけるに、昔は女房の入立(いりたち)なりし人の、今はさもあらざりければ、女房の中より、昔を思ひ出でて、   雲の上はありし昔にかはらねど見し玉垂れのうちや恋しき と詠み出だしたりけるを、「返事せん」とて、灯炉の際(きは)に寄りけるほどに、小松の大臣(おとど)((平重盛))の参り給ひければ、「急ぎ立ち退く」とて、灯炉の火の掻き上げの木の端(はし)にて、「や」文字を消ちて、そばに「ぞ」文字を書きて、御簾の内へ差し入れて、出でられにけり。 女房、取りて見るに、「ぞ」文字一つにて、返しをせられたりける、ありがたかりけり。 ===== 翻刻 ===== 成範卿事アリテ召返サレテ、内裏ニ参リタリ ケルニ、昔ハ女房ノ入立ナリシ人ノ、今ハサモアラサリ ケレハ、女房ノ中ヨリ昔ヲ思出テ、 雲ノ上ハアリシ昔ニカハラネト、ミシ玉タレノウチヤ恋シキ トヨミ出シタリケルヲ、返事セントテ燈爐ノキハニヨリ ケルホトニ、小松ノオトトノ参給ケレハ、急キ立ノクト テ、トウロノ火ノカキアケノ木ノハシニテ、ヤ文字ヲ/k58 ケチテ、ソハニソ文字ヲ書テ、御スノ内ヘサシ入テ出ラレ ニケリ、女房取テ見ニ、ソ文字一ニテ返シヲセラレタリ ケル、アリカタカリケリ、/k59