十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の25 妙音院入道太政大臣土佐より帰洛の時按察使資賢卿参りて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 妙音院入道太政大臣((藤原師長))、土佐より帰洛の時、按察使資賢(あぜちのすけかた)卿((源資賢))参りて言談の次(ついで)に、「さても、何事が候ひけん」と申されければ、その御返事はなくて、   韓康独往之栖 と詠(えい)じ出だし給ひたりければ、按察使、涙を落してぞ出でられける。そのころ、大臣、院参されたりけるに、琵琶久しく聞かず。ゆかしくこそ」とて、琵琶を給ひたりければ、まづ 『嘉皇恩』といふ楽を弾く。次に『還城楽』を弾き給へりければ、心ばせいみじかりけり。 また後(のち)、資賢卿、配所より帰りたりけるころ、法皇((後白河法皇))、今様をすすめ仰せられけるに、   信濃にありし木曽路河 と詠(うた)はれけり。御感有り。 「信濃にあんなる」とこそ言ひならはせるを、見たる由を詠はれける。まことにいみじかりけり。 ===== 翻刻 ===== 妙音院入道太政大臣土佐ヨリ帰洛ノ時、按察使資賢 卿参テ言談ノ次ニ、サテモ何事カ候ケント申サレケレ ハ其御返事ハナクテ、韓康独往之栖ト詠シ出シ給 タリケレハ按察使涙ヲ落テソ出ラレケル、其頃大臣院 参サレタリケルニ、琵琶久ク聞ス、ユカシクコソトテ 比巴ヲ給タリケレハ、先嘉皇恩ト云楽ヲヒク、次ニ還 城楽ヲヒキ給ヘリケレハ、心ハセイミシカリケリ、 又後資賢卿配所ヨリ帰タリケル比法皇今ヤウ/k57 ヲススメ仰ラレケルニ、信濃ニ有シ木曽路河トウタハレケ リ、御感有リ、信濃ニアンナルトコソ云ナラハセルヲ見タル由 ヲウタハレケル、実ニイミシカリケリ、/k58