十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の24 京極大殿の御時白河院宇治に御幸ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 京極大殿((藤原師実))の御時、白河院、宇治に御幸ありけり。余興尽きざるによりて、今一日御逗留あるべきよしを申さるるを、「明日、還御あらば、花洛、宇治より北にあたりて、日塞(ふさ)がりのはばかりあり。これがため、いかが」。殿下、御遺恨深きところに、行家朝臣((藤原行家))、申していはく、「宇治は都の南にはあらず。喜撰が歌にいはく、   わが庵(いほ)は京のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり と((底本「と」なし。諸本により補う。))詠めり。されば、何のはばかりか有らん」と申されけり。 この旨を奏聞ありければ、その日、還御延びにけり。 殿下御感歎あり。人、また美談とす。 ===== 翻刻 ===== 京極大殿御時、白河院宇治ニ御幸有ケリ、餘興 尽サルニヨリテ、今一日御逗留有ヘキ由ヲ申サル ルヲ、明日還御アラハ、花洛宇治ヨリ北ニアタリテ 日フサカリノ憚アリ、為之如何、殿下御遺恨深キ 所ニ、行家朝臣申云、宇治ハ都ノ南ニハ非ス、喜撰カ 哥ニ云ク、 我庵ハミヤコノタツミシカソスム世ヲウチ山ト人ハイフナリ、 ヨメリ然レハナニノ憚カ有ント申サレケリ、此旨ヲ奏/k56 聞有ケレハ、其日還御延ヒニケリ、殿下御感歎アリ、人 又美談トス、/k57