十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の18 後徳大寺左大臣小侍従と聞こえし歌詠みに通ひ給ひけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 後徳大寺左大臣((藤原実定))、小侍従と聞こえし歌詠みに通ひ給ひけり。 ある夜、物語して、暁帰りけるほどに、この人の共なりける蔵人といふものに、「いまだ入りもやらで、見送りたるが、ふり捨てがたきに、立ち帰りて、何ごとにても言ひて来(こ)」とのたまひければ、「ゆゆしき大事かな」と思へど、ほど経(ふ)べきことならねば、やがて走り入りて、車寄(くるまよせ)に女の立ちたる前についゐて、「『申せ』と候ふ」とは左右(さう)なく言ひ出でたれど、何とも言ふべしとも思えぬに、折しも、里の鶏、声々鳴き出でたりければ、   物かはと君が言ひけむ鳥の音(ね)の今朝しもなどか悲しかるらん とばかり言ひかけて、やがて走り着きて、「車寄にて、かくこそ申して候ひつれ」と申しければ、いみじくめでられけり。 「さてこそ使ひにははからひつれ」とて、後に知る所など賜びたりけるとなむ。 上東門院((藤原彰子))の、伊勢大輔が墨磨るほどに、「今日九重に」といふ歌を案じ得、一間(ひとま)を居ざり出づるあひだに、「こはえもいはぬ花の色かな」の末の句を付けたりける、心の早さにも劣らずこそ聞ゆれ。 かの蔵人は、内裏の六位なと経て、「やさしき蔵人」といはれけり。 ===== 翻刻 ===== 後徳大寺左大臣小侍従ト聞エシ哥ヨミニ通ヒ給ケ リ、或夜物語シテ暁カヘリケル程ニ、此人ノトモナリ ケル蔵人ト云フモノニ、イマタ入モヤラテ見送リタル カフリ捨カタキニ、立帰テ何事ニテモイヒテコ トノ給ケレハ、ユユシキ大事カナト思ヘト、程フヘキ 事ナラネハ、ヤカテ走リ入テ、車寄ニ女ノ立タル 前ニツイヰテ、申セト候トハ左右ナク云出テタレト、/k41 何トモ云ヘシトモ覚エヌニ、折シモ里ノ鶏声々鳴 出テタリケレハ、 物カハト君カイヒケム鳥ノ音ノ、今朝シモナトカ悲シカルラン トハカリ云懸テ、ヤカテ走リ着テ、車寄ニテカクコソ 申テ候ツレト申ケレハ、イミシクメテラレケリ、サテコソ 使ニハハカラヒツレトテ、後ニシル所ナトタヒタリケルトナ ム、上東門院ノ 伊勢大輔カ墨スル程ニ今日九重ニト云フ哥ヲ案シ 得、ヒト間ヲ居サリ出ル間ニ、コハエモイハヌ花ノ色カナノ 末ノ句ヲツケタリケル、心ノハヤサニモオトラスコソ聞/k42 レ彼蔵人ハ内裏ノ六位ナトヘテ、ヤサシキ蔵人ト云レ ケリ、/k43