十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の16 薩摩守忠度ある宮腹の女房にもの申さむとて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 薩摩守忠度((平忠度))、ある宮腹の女房にもの申さむとて、局の上ざまにて、音なはむもつつましく、ためらひけれど、ことのほかに更けにければ、扇をはらはらと使ひ鳴らして、聞き知らせければ、この局の心知りの女房の声にて、   野もせにすだく虫の音(ね)よ と、ながめけるを聞きて、扇を使ひ止みにけり。 人静まりぬと思しくて、逢ひたりけるに、女房、「など扇は使ひ給はざりつる」と言ひければ、「いさ、『かしがまし』とかや聞こえつれば」と言ひたりける、いとやさしかりけり。   かしがまし野もせにすだく虫の音よ我だにものは言はでこそ思へ ===== 翻刻 ===== 薩摩守忠度或宮原ノ女房ニ物申サムトテ、局ノ 上サマニテ音ナハムモツツマシク、タメラヒケレト、事ノ 外ニ更ニケレハ、扇ヲハラハラトツカヒ鳴テ聞シラセケ レハ、此局ノ心シリノ女房ノ声ニテ、野モセニスタク 虫ノネヨトナカメケルヲ聞テ、扇ヲツカヒヤミニケリ、 人シツマリヌト覚シクテ逢タリケルニ、女房ナト扇 ハツカヒ給ハサリツルト云ケレハ、イサカシカマシトカヤ/k39 聞エツレハト云タリケル、イトヤサシカリケリ、 カシカマシ野モセニスタク虫ノ音ヨ、我タニモノハイハテコソ思ヘ/k40