十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の4 召伯が政のやはらかなりし州民甘棠の詠をなし・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 召伯が政のやはらかなりし、州民((底本「列民」。諸本により訂正。))甘棠の詠をなし、羊祜 があはれの広かりし、門客峴亭((底本「門容硯亭」。諸本により訂正))の碑を立てけり。亡き後(あと)までも、情けに過ぎたる忘れがたみぞなかりける。 おほかた、うちあらむ人も情けを先とすべし。人、我を悪しくすとも、我、情けをほどこさば、人かへりて従ふ。「仇(あだ)をは恩をもて報ずべし」といへり。廉頗(れんぱ)が棘(おどろ)を負ひし例(ためし)は、人の心によりて、今の世にもありぬべし。よそに思ふべからず。何ぞただ藺相如(りんしやうじよ)のみに限らむや。 みどり子は、親といふゆゑを知らねども、情けをむつましくして従ふ。六畜は、主といふことをわきまへねども、あはれみを知りてむつる。いはむや、心ある人倫をや。 禽虫のたぐひ、恩を知れる例、これ多し。漢武帝、昆明池に遊び給ふに、一つの鯉の釣を含みて死なむとするあり。帝、これを見て、人をしてとき放ち給へり。その夜、帝、夢中に鯉来て悦びけり。次の日、池に幸し給ひけるに、昨日の鯉の、明月珠を含みて池の辺に置きて去りぬ。その後、かの池の釣漁を止められけり。 隋侯、やぶれたる蛇を見て、薬をつけていやす。蛇、助かりて去りぬ。後に珠を含みて報ず。隋侯、珠を得て、家富み栄えけり。夜光の珠とて、その名くもりなし。 しかのみならず、楊宝は黄雀の病を助けて、その報を受け、孔愉は白亀の命を生けて、かの酬(むく)いを得たり。 ===== 翻刻 ===== 邵伯カ政ノヤハラカナリシ、列民甘棠ノ詠ヲナシ、羊祜 カ哀ノヒロカリシ、門容硯亭ノ碑ヲ立ケリ、ナキア トマテモ、ナサケニ過タルワスレカタミソナカリケル、大 方ウチアラム人モ、ナサケヲ先トスヘシ、人我ヲアシ/k14 クストモ、我ナサケヲホトコサハ、人カヘリテシタカフ、ア タヲハ恩ヲモテ報スヘシト云リ、廉頗カオトロヲオヒ シタメシハ、人ノ心ニヨリテ、今ノ世ニモアリヌヘシ、ヨソニ 思ヘカラス何ソ只藺相如ノミニカキラムヤ、ミトリ子ハ、 親ト云故ヲシラネトモ、ナサケヲムツマシクシテシタ カフ、六畜ハ、主ト云コトヲワキマヘネトモ、アハレミヲ知 テムツル、況ヤ心アル人倫ヲヤ禽虫ノタクヒ恩ヲシ レルタメシ是多シ、 漢武帝昆明池ニアソヒ給ニ、一ノ鯉ノ釣ヲ含テシ ナムトスルアリ、帝是ヲ見テ、人ヲシテトキハナチ給/k15 ヘリ、其夜帝夢中ニ鯉来テ悦ケリ、次ノ日池ニ幸 シ給ケルニ、昨日鯉ノ明月珠ヲフクミテ池ノ辺ニ置 テ去ヌ、其後彼池ノ釣漁ヲトトメラレケリ、 隋侯ヤフレタル蛇ヲ見テ、薬ヲツケテ、イヤス、蛇タ スカリテ去ヌ、後ニ珠ヲ含テ報ス隋侯珠ヲエテ家 富栄ケリ、夜光ノ珠トテ其名クモリナシ加之楊宝 ハ黄雀ノ病ヲタスケテ其報ヲウケ、孔愉ハ白亀 ノ命ヲイケテ彼酬ヲエタリ、吾朝ニハ/k16