今物語 ====== 第24話 東山のかたすみにあばれて人もかけらぬあばら屋に・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 東山の片隅に、あばれて人もかけらぬあばら屋に、いとやさしく、いまだ人慣れぬ女ありけり。庭の荻原まねけども((底本「萩原」。諸本により訂正))、風より外(ほか)は問ふ人もなく、軒端(のきば)の蓬(よもぎ)茂れども、杉むらならねばかひなくて、月に眺め、嵐にかこちても、心をいたましむるたよりは多く、花を見、郭公を聞きても、慰むべきかたは稀(まれ)なることにて、明かし暮すに、清水詣でのついでに、思はぬ他のさかしら出で来て、いたらぬくまなかりし御世に、ただ一夜の夢の契(ちぎり)を結び参らせてける。これも先の世を思へば、かたじけなかりけれども、さしあたりて、歎きに恨みを添へて、心のうち晴るる間もなし。 かひなくあり経(ふ)れど、いま一度(ひとたび)の言の葉ばかりの御情けだに待ちかねて、「よし、これ故(ゆゑ)そむくべき浮世なりけり」と思ひ立ちて、ありし御心知りのもとへ遣はしける。   なかなかに問はぬも人の嬉しきはうき世を厭ふ頼りなりけり とばかり、心にくく、幼なびれたる手にて、縹(はなだ)の薄様に書きたるを、折りをうかがひて奏しければ、「まことにさることあり。訪ねざりける、心後れこそ」と、御気色ありければ、やがて走り向ひて訪ぬるに、さらぬだに荒れたる宿の、人住む気色もなきを、やや久しくやすらひて、老ひたる女、一人尋ね得て、ことの様(やう)を詳しく問ひければ、「何といふことは知り侍らず。主(あるじ)は天王寺へ参り給ひぬ」と言へば、やがてそれより天王寺へ参り、寺々を訪ぬるに、亀井のあたりに大人しき尼一人、女房二三人ある中に、いと若き尼の、ことにたどたどしげなるがあり。この心知りを見付けて、あさましと思ひげにて、ただ、やがてうつぶして泣くより外のことなし。かたへの者ども、声を立てぬばかりにて、劣る袖なく絞りければ、御使ひも見捨てて帰るべき心地もせず。 大人しき尼は、この人の母なりければ、事の様(やう)細かに尋ねけれども、「もとよりこれは思ひつることなり。何しにかは、君の御故にてさぶらふべき。かしこく」と、言ひもあへず泣きて、その後は答へざりければ、「よしなき御使ひをして、かはゆきことを見つるよ」と悲しくて、さりとても、ここにて世を尽すべきならねば、立ち帰りぬ。 このよしを奏するに、「はしたなの心の立てざまや。心後れが科(とが)になりつるよ」とて、かひながりけり。あはれにも、やさしくも、長き世の物語にぞなりぬる。 みそのの尼の心と、いづれか深からむ。 ===== 翻刻 ===== 東山のかたすみにあはれて人もかけらぬあはらやに いとやさしくいまた人なれぬ女ありけり庭の萩原 まねけとも風より外はとふ人もなく軒はのよもき しけれとも杉むらならねはかひなくて月になかめ嵐に かこちても心をいたましむるたよりはおほく花をみ 郭公をききてもなくさむへきかたはまれなる事にて あかしくらすにきよ水まうてのつゐてにおもはぬほかの さかしらいてきていたらぬくまなかりし御世にたた一 夜の夢の契をむすひまいらせてけるこれもさきの世を おもへはかたしけなかりけれともさしあたりてなけきに/s16l 恨をそへて心のうちはるるまもなしかひなくあり ふれといまひとたひのことの葉はかりの御なさけたに まちかねてよしこれゆへそむくへき浮世也けりとおもひ たちてありし御心しりのもとへつかはしける 中々にとはぬも人のうれしきはうき世をいとふたより成けり とはかり心にくくおさなひれたる手にてはなたのうす やうにかきたるをおりをうかかいて奏しけれはまこと にさる事ありたつねさりける心をくれこそと御気色あ りけれはやかてはしりむかひてたつぬるにさらぬたにあ れたるやとの人すむけしきもなきをややひさしく やすらひて老たる女ひとり尋えて事のやうをく はしくとひけれは何と云事はしり侍らずあるしは 天王寺へまいり給ひぬといへはやかてそれより天王寺へ/s17r まいりてらてらをたつぬるに亀井のあたりにおとなしき あま一人女房二三人あるなかにいとわかきあまのことに たとたとしけなるかありこの心しりを見つけてあさま しとおもひけにてたたやかてうつふしてなくより外 の事なしかたへのものともこゑをたてぬはかりにておと る袖なくしほりけれは御つかひも見すてて帰へき 心ちもせすおとなしき尼はこの人のははなりけれは事の やうこまかにたつねけれ共もとよりこれはおもひつる事 なりなにしにかは君の御ゆへにてさふらふへきかしこくと いひもあへすなきてそののちはこたへさりけれはよし なき御つかひをしてかはゆき事を見つるよとかなし くてさりとてもここにて世をつくすへきならねはたち かへりぬこのよしを奏するにはしたなの心のたてさ/s17l まや心をくれかとかに成つるよとてかひなかりけり あはれにもやさしくもなかき世のものかたりにそなり ぬるみそののあまの心といつれかふかからむ/s18r