今物語 ====== 第11話 能登前司橘長政といひしは今は世をそむきて法名寂縁とかや・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 能登前司橘長政といひしは、今は世をそむきて、法名寂縁とかや申すなんめり。和歌の道をたしなみて、その名聞こゆる人なり。 『新勅撰』撰ばれしとき、三首とかや入りたりけるを、「少なし」とて切りて出でたりける。少し激しきには似たれども、道を立てたるほどは、いとやさしくこそ。 その人、このころ、あるやむごとなき大臣家に、和歌の会せられけるに、述懐の歌詠みたりける。   仰(あふ)げども我が身助くる神無月さてやはつかの空を眺めむ と詠みたりければ、満座感歎して、この歌詠みためて、主も称美のあまりに、国の所一つ賜はせたりけり。 道の面目、世の繁昌、不思議のことなり。末代にも、さすがかかるやさしきことの残りたるにこそ。 このことを聞きて、隆祐侍従、言ひ遣りける歌。   磨きける君に会ひてぞ和歌の浦の玉も光をいとど添ふらん ===== 翻刻 ===== 能登前司橘長政といひしはいまは世をそむきて 法名寂縁とかや申なんめり和哥の道をたし なみてその名きこゆる人也新勅撰えらはれし時 三首とかや入たりけるをすくなしとてきりていて たりけるすこしはけしきには似たれ共みちをた てたるほとはいとやさしくこそその人このころある やむことなき大臣家に和哥の会せられけるに述懐/s10r の哥よみたりける あふけ共我身たすくる神無月さてやはつかの空をなかめむ とよみたりけれは満座感歎してこの哥よみためて 主も称美のあまりに国の所ひとつたまはせたり けり道の面目世の繁昌ふしきの事なり末代 にもさすかかかるやさしきことののこりたるにこそ此事 をききて隆祐侍従いひやりける哥 みかきける君にあひてそ和哥の浦の玉も光をいととそふらん/s10l