発心集 ====== 第八第14話(102) 下山の僧、川合社の前に於て絶え入る事 ====== ===== 校訂本文 ===== 中ごろのことにや、山((比叡山))より下りける僧ありけり。糺(ただす)((下鴨神社の糺の森))の前の河原を過ぐるに、幼なき童部三人、おのおのいみじく争ひ論ずることあり。 この僧、立ちとどまりて、そのゆゑを問ふ。童の言ふやう、「ここに、おぼつかなきこと侍り。神の御前にて、まづ人の読み給ふ経の名をさまざまに申して、『われこそよく言へ』と、かたみに論じ侍るなり」と言ふ。 「をかし」と思ひて、一人づつこれを問へば、一人は「真経」と言ひ、一人は「深経」と言ひ、一人は「神経」と言ふ。僧、うち笑ひ、「これは、みな僻事(ひがごと)ぞ。『心経((般若心経))』とこそ言へ」と言へば、言ひやみて、みな去りぬ。 かくて、一町ばかり行くほどに、河原中に、にはかにまぐれて倒れぬ。夢のごとくして、臥したるほどに、やむごとなき人、枕に来たりてのたまふやう、「なんぢがしわざ、心得ず。これ幼き者の言ふこと、みなそのいはれあり。『真経』と言ふ、僻事にあらず。実(まこと)の法なれば。『深経』といふ、また僻事にあらず。いはれ深きことはりなれば。『神経』といふもたがはず。神明のことにめで給ふ経なれば。このことをやや久しく論じつれば、とにもかくにもめでたく聞きつるを、なんぢが事をきしるゆゑに、言ひ止みて去りぬ。口惜しければ、そのこと示さんとてなり」と仰せらるると見て、汗うち流れあえて、ことなくなむ起きたりける。 神の法にめで給ふ御志、深げにあはれなることなり。 ===== 翻刻 ===== 下山僧於川合社前絶入事 中比ノ事ニヤ。山ヨリ下リケル僧アリケリ。タダスノ前 ノ河原ヲスグルニ。オサナキ童部三人ヲノヲノイミジ ク諍論ズル事アリ。此僧立トトマリテ其故ヲトフ。 童ノイフヤウ。爰ニ覚束ナキ事侍リ。神ノ御前ニ テ先人ノヨミ給フ経ノ名ヲ様々ニ申テ我コソ ヨクイヘト。カタミニ論シ侍ナリト云。オカシト思ヒテ ヒトリヅツ是ヲトヘバ。一人ハ真経ト云。一人ハ深経ト云 一人ハ神経ト云。僧打ワラヒ是ハ皆非ガ事ゾ心経 トコソイヘト云ヘバ。イヒヤミテ皆サリヌカクテ一町/n27l バカリ行程ニ河原中ニ俄ニマクレテ倒レヌ。夢ノゴトク シテ臥タル程ニ。ヤムゴトナキ人枕ニ来リテノ給フ ヤウ。汝カシワザ心得ズ。此ヲサナキ者ノイフコト。 皆ソノイハレアリ。真経ト云非カ事ニアラズ。実 ノ法ナレバ深経トイフ又非カコトニアラス。イハレ 深キコトハリナレハ神経ト云モタガハス。神明ノコトニ メデ給フ経ナレバ此事ヲヤヤ久ク論シツレハ。トニモ カクニモ目出聞キツルヲ。汝カ事ヲキシル故ニ。 イヒヤミテサリヌ。口惜ケレバ其事シメサントテ 也ト被仰ト見テ汗ウチ流。アエテコトナクナ/n28r ムヲキタリケル神ノ法ニメデ給フ御志深ゲニ 哀ナル事ナリ。抑コトノ次ゴトニ書ツツケ侍ホドニ/n28l