発心集 ====== 第八第11話(99) 聖梵・永朝、山を離れ南都に住む事 ====== ===== 校訂本文 ===== 中ごろ、奈良に聖梵(しやうぼん)入寺・永朝僧都((永超僧都))といふ二人の智者あり。もとは山に同じ様に学久しくして住みける。 そのころ、いみじき同志の若人(わかびと)ども多くて、彼らにすぐれんこともありがたく思えてげれば、二人言ひ合はせつつ、山((比叡山延暦寺))を別れて、奈良へなむ移りける。 奈良坂に至りて、はるかに見やるに、興福寺の方には、人多く居こぞりて、いみじうにぎやかなり。東大寺の方には、人少(ずく)なにて、ものさびしき様に見えければ、聖梵、もとより心素直(ずなほ)ならぬ者にて、心の中に思ふやう、「人多き所にて、思ふさまに成り出でんことは、きはめて難(かた)し。東大寺の方へこそ行くべかりけれ」と思ひて、永朝に言ふやう、「一所にては悪しかりなむ。そなたには興福寺へいませ。われは、もとより三論宗を少し学したれば、東大寺へまからん」と言ひて、そこよりなむ、おのおの行き別れける。 この二人、劣らぬ智者なれど、永朝は心うるはしき者にて、行くままに興福寺へ行きて、ほどなく進みて僧都になりぬ。聖梵は勝り顔もなかりければ、月の明かかりける夜、つくづくと身のありさまを思ひつづけて詠みける。   昔見し月の影にも似たるかなわれと共にや山を出でけん この聖梵、学生の方はいみじき聞こえありけれど、人のため腹悪しくて、さるべき経論などを人に借りても、殊なる要文ある所をば切りとり、さりげなく継ぎ寄せてなむ返しける。書き切り置きたる文のきれ、小さき唐櫃にひとはたにぞなりたりける。 かかるうたてき心を持ちたるゆゑに、智者といふとも、その験(しるし)もなし。現世には司もならず、つひに二つの目抜けて、臨終にはさまざま罪深き相どもあらはれて、「かの、あはうの」と言ひてぞ、終はりにける。何の智恵も勤めも、心うるはしくて、その上のことなり。 さて、永朝僧都は、春日の社((春日神社))に常にこもりけるに、神感あらたにて、夢の中に御姿見奉ること、たびたびになりにけれども、御後ろをのみ見て、向ひて見給ふことのなかりければ、あやしく本意(ほい)なく思えて、ことに信を至して祈り申しける時、夢の中に仰せられけるやう、「なんぢ、恨むる所しかるべし。ただし、いとほしく思し召せども、すべて、われに後世のことを申さねば、え向ひては見ぬなり」と仰せ給ふとなむ、見たりける。 末世の機にしたがひて、仮に神とこそ現じ給へど、まことには、化度衆生の御志より発(おこ)りければ、現世のことをのみ祈り申すをば、本意なく思し召すなるべし。 ===== 翻刻 ===== 聖梵永朝離山住南都事 中比奈良ニ聖梵入寺永朝僧都ト云二人ノ智者 アリ。本ハ山ニ同ジ様ニ学久シテ住ケル。其比イミ ジキ同志ノ若人ドモ多クテ。カレラニスグレン事モ 難有覚ヘテゲレバ。二人云合セツツ山ヲワカレテ奈良/n23r ヘナムウツリケル。奈良坂ニイタリテ遥ニ見ヤルニ。 興福寺ノ方ニハ人ヲホク居コゾリテ。イミジウニギヤ カナリ。東大寺ノ方ニハ人ズクナニテ物サビシキ 様ニ見ヘケレバ。聖梵モトヨリ心スナホナラヌ者ニ テ心ノ中ニ思フ様。人多キ所ニテ思フサマニ成出 ン事ハキハメテ難シ。東大寺ノ方ヘコソ行ベカリケレ ト思テ。永朝ニ云様。一所ニテハ悪カリナム。ソナタニ ハ興福寺ヘイマセ。我ハ本ヨリ三論宗ヲ少シ学シ タレバ東大寺ヘマカラント云テ。ソコヨリナムヲノヲノ 行別ケル此フタリ劣ヌ智者ナレド永朝ハ心ウル/n23l ハシキ者ニテ。ユクママニ興福寺ヘ行テ程ナク 進テ僧都ニナリヌ。聖梵ハマサリガホモ無リケレ ハ月ノアカカリケル夜ツクツクト身ノ有様ヲ思ヒ ツツケテ読ケル 昔見シ月ノ影ニモ似タルカナ我ト共ニヤ山ヲ出ケン 此聖梵学生ノ方ハイミジキ聞ヘアリケレド。人ノ為 腹悪テサルベキ経論ナドヲ人ニ借テモ殊ナル要 文アル所ヲバ切トリ。サリゲナクツギヨセテナム返 ケル。書切ヲキタル文ノキレチヰサキ唐櫃ニヒト ハタニゾ成タリケル。カカルウタテキ心ヲ持タル故/n24r ニ智者トイフトモ其験モナシ現世ニハ司モナラス ツヰニ二ノ目ヌケテ臨終ニハサマサマ罪フカキ相ト モアラハレテ。彼アハウノト云テゾ終リニケル。何ノ智 恵モツトメモ心ウルハシクテ其上ノ事也。サテ永朝 僧都ハ春日社ニ常ニコモリケルニ。神感アラタニテ 夢ノ中ニ御スガタ見奉ル事度々ニ成ニケレド モ御ウシロヲノミ見テ向ヒテ見給フ事ノナカリケ レバ。アヤシク本意ナク覚ヘテ殊ニ信ヲ至テ祈リ 申ケル時。夢ノ中ニ被仰ケルヤウ。汝恨ル所シカルベ シ。但イト惜思食セドモ。スベテ我ニ後世ノ事ヲ申/n24l サネバエ向ヒテハ見ヌナリト仰給トナム見タリケル。 末世ノ機ニシタガヒテ。カリニ神トコソ現ジ給ヘト誠 ニハ化度衆生ノ御志ヨリ発リケレバ現世ノ事ヲ ノミ祈申ヲハ本意ナク思食スナルベシ/n25r