発心集 ====== 第七第10話(85) 阿闍梨実印、大仏供養の時、罪を滅する事 ====== ===== 校訂本文 ===== 一年(ひととせ)、東大寺の大仏供養の時、田舎の人、残りなく参り集まりけるころ、かの勧進の聖、夢に見けるやう、一人の高僧来て、告げていはく、「この貴賤・道俗数知らず集まる中に、大夫阿闍梨実印(じちいん)といふ僧の、無始の罪障、ことごとく滅するなり」とのたまふ。 いと貴く思えて、「しかじかいふ人やある」と尋ねさするほどに、おのづから尋ねあひにけり。 すなはち、このことを語りて、「さても、いかほどのことを勤め給ふぞ。いといとおぼつかなく」など言ひける。さらさら仕(つかまつ)ることなし。ただ、御前に候ひし時、つねよりも信発(おこ)りて侍りしかば、他念なくして、泣く泣く涙を押さへて、理趣分((大般若経理趣分))をこそ、一遍読み侍りしか」とぞ答へける。 ===== 翻刻 ===== 阿闍梨実印大仏供養時滅罪事 一年東大寺ノ大仏供養ノ時田舎ノ人残リナク 参集リケル比彼勧進ノ聖夢ニ見ケル様。一人ノ高 僧来テ告云。此貴賤道俗カズシラズ集ル中ニ/n20l 大夫阿闍梨実印ト云僧ノ無始ノ罪障悉滅スルナ リトノ給。イトタウトク覚テシカシカ云人ヤアルト尋 サスル程ニ。自ラ尋逢ニケリ。即此事ヲカタリテ。サテモ イカ程ノ事ヲ勤給フゾ。イトイト覚束ナクナド云 ケル。更々仕ル事ナシ。只御前ニ候シ時ツネヨリモ信 ヲコリテ侍シカバ。他念ナクシテ泣々涙ヲ押テ理趣 分ヲコソ一遍ヨミ侍シカトゾ答ヘケル/n21r