発心集 ====== 第七第7話(82) 三井寺の僧、夢に貧報を見る事 ====== ===== 校訂本文 ===== 中ごろ、三井寺にわりなく貧しき僧ありけり。 思ひわびて思ふやう、「かくゆかりのなきなめり。かくしも思ふことの違ふべきかは。われ、外(ほか)へ行て宿世をも試みん」と思ひて、昼などは旅姿もあやしければ、暁出で立つほどに、夜深く起き、「道のほどもわづらはしかるべし」とて、しばし寄り臥したる夢に、色青み、痩せ衰へたる、わびしげなる冠者、われと同様に藁沓(わらぐつ)履きなど用意し、いみじう出で立つあり。 さきざきも見えぬ者なれど、あやしくて、「おのれは何者ぞ」と問ふ。「年ごろ候ふ者なり。いつも離れ奉らぬ身なれば、御伴(とも)申し候はんとて、出で立ち侍る」と言ふ。僧の言ふやう、「さる者やはある。名をば何と言ふぞ」と問へば、「人々しき身ならねば、異名(いみやう)侍り。ただうち見る人は、『貧報(びんぼう)の冠者(くわじや)』となむ申し侍る」と言ふと見て、夢覚めぬれば、すなはち、身のつたなき宿世を知り、「いづくへ行とも、この冠者が添ひたらんには」と思ひて、外心(ほかごころ)改めて、あやしながら、もとの寺にぞ 住みける。 これ、またしもあるべきことなれど、人ごとに夢にも見ねば、宿世のほどをも知らず。いくばくもあるまじき身の、あたら暇(いとま)に後世のことをさし置いて、まづ、「もしや、もしや」と走り求め、心を尽すなるべし。仏天の知見こそ、いと恥かしく侍(はんべ)れ。 ===== 翻刻 ===== 三井寺僧夢見貧報事 中比三井寺ニワリナク貧キ僧アリケリ。念ヒワビ テ思フ様此所縁ノナキナメリ。カクシモ思事ノ違ヘ キカハ。我外ヘ行テ宿世ヲモ試ト思テ。ヒルナドハ旅 スガタモアヤシケレバ。暁出立ホドニ夜フカク起道ノ 程モワヅラハシカルベシトテ。シバシヨリフシタル夢ニ 色アヲミ痩ヲトロヘタルワビシゲナル冠者我ト同 様ニワラグツハキナド用意シ。イミジウ出タツアリ。/n18l サキサキモ見ヘヌ物ナレドアヤシクテ。ヲノレハ何者ゾト 問フ。年来候モノナリ。イツモ離レ奉ラヌ身ナレバ。 御伴申候ハントテ出立侍ト云。僧ノ云様サル物 ヤハアル。名ヲハ何ト云ゾト問ヘバ。人々シキ身ナラネ バ異名侍リ。只ウチ見ル人ハ貧報ノ冠者トナム 申侍トイフト見テ。夢サメヌレバ即身ノツタナキ 宿世ヲシリ。イヅクヘ行トモ此冠者ガソヒタランニ ハト思テ。外心改タメテ。アヤシナガラ本ノ寺ニゾ 住ケル。是又シモアルベキ事ナレド。人ゴトニ夢ニモ 見ネバ宿世ノホドヲモ知ズイクバクモ有マジキ身/n19r ノアタラ暇ニ後世ノ事ヲ閣テ先モシヤモシヤト走モト メ心ヲツクスナルベシ。仏天ノ知見コソイト恥カシク ハンベレ/n19l