発心集 ====== 第七第6話(81) 賢人右府、白髪を見る事 ====== ===== 校訂本文 ===== 小野宮の右大臣((藤原実資))をば、世の人、「賢人の大臣(おとど)」とぞ言ひける。 納言などにておはしけるころにやありけん。内より出で給ふに、うつつともなく、夢ともなく、車の後(しり)に、白(しら)ばみたる者来たる。小さき男の、見るとも思えぬが、早らかに歩みて来れば、あやしくて、目をかけて見給ふほどに、この男、走りつきて、後(しり)の簾(すだれ)を持ち上ぐるに、心得がたくて、「何者ぞ、便なし。まかりのけ」とのたまふに、「閻王((閻魔王))の御使、白髪丸にて侍る」と言ひて、すなはち車にをどり乗りて、冠の上にのぼりて、失せぬ。 いとあやしく思えて、帰り給ふままに見やり給へば、白髪を見て、一筋見出だし給ひたりける。 世の人の言ふことなれど、正(まさ)しくぞ証を見て、心にあはれと思されけるにや。もとは道心などはせざりけるが、これより、後世の勤めなど常にし給ひける。 ===== 翻刻 ===== 賢人右符見白髪事 小野宮ノ右大臣ヲハ世人賢人ノヲトトトゾ云ケ ル。納言ナトニテオハシケル比ニヤアリケン。内ヨリ/n17l 出給ニ。ウツツトモ無ク夢トモナク。車ノシリニ。シラ バミタル物キタル。チヰサキ男ノ見トモ覚ヘヌガ。 ハヤラカニ歩ミテ来レハ。アヤシクテ目ヲカケテ 見給フホドニ。此男ハシリツキテ後ノ簾ヲモチ アグルニ。心ヘガタクテ何物ゾ便ナシ罷ノケトノ 給ニ。閻王ノ御使白髪丸ニテ侍ト云テ。即車ニオ ドリ乗テ冠ノ上ニノボリテウセヌ。イトアヤシク 覚ヘテ帰賜ママニ見ヤリ給ヘハ。白髪ヲ見テヒト スヂ見出シ給タリケル。世ノ人云事ナレド正シ クソ証ヲ見テ心ニ哀トオボサレケルニヤ。モトハ道心/n18r ナドハセザリケルガ。是ヨリ後世ノ勤ナド常ニ シ給ケル/n18l