発心集 ====== 第七第2話(77) 同上人、衣を脱ぎ松尾大明神に奉る事 ====== ===== 校訂本文 ===== この上人((空也。[[h_hosshinju7-01|前話]]参照。))、雲林院に住み給ひけるころ、七月ばかりに、京になすべきことありて、朝かげに、大宮の大路を南ざまへおはしけるに、大垣のほとりに、例人(れいびと)とは思えぬ人のさし会へりけるが、いみじく寒(かん)を怨みたる気色にて見えければ、上人、あやしくて、立ち留(とど)まりて、「いかなる人にてましませば、かく暑きほどに、寒げにおはするは」と問ひ給ふ。 この人、のたまふやう、「空也上人とは御ことを申すにや。日ごろより、『会ひ奉りて、愁へ申さん』と思ひつるに、いと嬉しく侍り。おのれは松尾の大明神なり。妄想顛倒(まうざうてんだう)の嵐激しく、悪業煩悩の霜厚く侍る間、かく寒さ耐へがたきなり。もし、法華の法施を得しめ給はむや」とのたまふ。 聖、いとかたじけなく、あはれに思えて、「承り侍りぬ。ただし、社(やしろ)に詣でて、法施し奉らむ。この、おのれが下に着て侍る小袖は、この四十余年、起き臥し・立ち居、法華経を読みしめて侍る衣なり。垢づきて、いとかたじけなきことには侍れど、これを奉らん」と申し給ひければ、悦びて着給ひて、「今はこの法華の衣を着て、いと暖かになりたり。これより後は、仏道なり給はんまで、守(まぼ)り奉らん」とて、聖を伏し拝みて、去り給ひぬ。 これ、大通智勝仏の垂跡にておはしますべし。国を助け、仏法を守(まも)らんがために、跡を垂れ給へば、上人の徳を尊(たつと)びて、法施を請け給ふ。しかるに、旧き小袖を奉り給ひける心のたけこそ、なほありがたく侍れ。 そもそも、天慶より先は、日本に念仏の行まれなりけるが、この聖の勧めによりて、人、こぞりて念仏を申すことになれり。常に阿弥陀を唱へて歩(あり)き給ひければ、世の人、これを「阿弥陀聖」と言ふ。ある時、市の中に住して、もろもろの仏事を勧め給ふによりて、「市の聖」とも聞こゆ。すべて、橋なき所には橋を渡し、井なくして、水乏しき郷には井を堀り給ひけり。 これをわが国の念仏の祖師と申すべし。すなはち、法華経と念仏とをおいて、極楽の業として、往生を遂げ給へるよし、見えたり。 ===== 翻刻 ===== 同上人脱衣奉松尾大明神事/n4r 此上人雲林院ニ住給ケル比七月バカリニ京ニナスベ キ事アリテ。朝カゲニ大宮ノ大路ヲ南サマヘヲハシ ケルニ。ヲホガキノ辺ニ例人トハ覚ヘヌ人ノサシアヘ リケルカ。イミジク寒ヲ怨ミタル気色ニテ見ヘケレバ。 上人アヤシクテ立留テ何ナル人ニテマシマセバ。カク 暑ホドニ寒ゲニオハスルハト問給フ。此人ノ給様空也上 人トハ御事ヲ申ニヤ。日来ヨリアヒ奉テ愁申サント思 ツルニ。イト嬉ク侍リ。巳ハ松尾ノ大明神ナリ。妄想顛 倒ノ嵐ハゲシク悪業煩悩ノ霜アツク侍間カク寒 タエガタキナリ。若法華ノ法施ヲ令得給ムヤトノ給/n4l 聖イトカタジケナク哀ニ覚テ承侍ヌ但社ニ詣テ 法施シ奉ム。此ヲノレカ下ニ著テ侍ル小袖ハ此四十 余年。ヲキフシ立居法華経ヲヨミシメテ侍衣ナリ。 垢ヅキテイト忝事ニハ侍レド是ヲ奉ラント申シ 給ケレバ。悦テ著給テ今ハ此法華ノ衣ヲ著テイト 暖ニ成タリ。是ヨリ後ハ仏道ナリ給ハンマデ。マボリ 奉ントテ聖ヲフシ拝テ去給ヌ。是大通智勝仏ノ 垂跡ニテオハシマスベシ。国ヲ助ケ仏法ヲ守ランガ為 ニ跡ヲ垂給ヘバ。上人ノ徳ヲ尊テ法施ヲ請給フ シカルニ旧キ小袖ヲ奉給ケル心ノタケコソ猶アリガタ/n5r ク侍レ。抑天慶ヨリ先ハ日本ニ念仏ノ行マレナリケ ルガ此聖ノ進ニヨリテ人コゾリテ念仏ヲ申事ニ ナレリ。常ニ阿弥陀ヲ唱テアリキ給ケレバ。世人是 ヲ阿弥陀ヒジリト云。或時市ノ中ニ住シテ諸ノ仏 事ヲススメ給ニ依テ市ノ聖トモキコユ。惣テ橋ナキ 所ニハ橋ヲワタシ。井ナクシテ水トボシキ郷ニハ井ヲ 堀給ケリ。是ヲ我国ノ念仏ノ祖師ト申ベシ。即法 華経ト念仏トヲ置テ極楽ノ業トシテ。往生ヲ 遂給ヘルヨシ見ヘタリ/n5l