発心集 ====== 第六第13話(75) 上東門院の女房、深山に住む事 穢土を厭ひ、浄土を欣ぶ事 ====== ===== 校訂本文 ===== ある聖、都ほとりを厭ふ心深くて、「住みぬべき所やある」と尋ね歩(あり)きけるほどに、北丹波といふ深き谷にいたりて、跡絶えたる深山(みやま)の奥の方に、川より切り花のからの流れ出でたるあり。 いとあやしくて、「いかなる人の、いかにして住むらむ」と、おぼつかなさに、尋ねつつ、はるかに分け入りて、見れば、形(かた)の様なる柴の庵の、軒を並べて二つあり。いとめづらかに思えて、近く歩み寄るほどに、窓より、その形ともなく黒み衰へたる人、わづかにさし出でて、人の気色を見て、引き入りぬ。 「あはれ、さ申ししものを。花がらを谷に散らし給ひて」と言ふを聞けば、女声(をんなこゑ)なり。「濁れる末の世にも、かかる住居(すまひ)する人はあるものかは」と、ありがたく思ゆるにも、まづ涙落ちて、「いかなる人の、かくておはしますぞ。身にたえたるわれらだに、なほえ思ひとり侍らぬを、いといと希有の御志なりや」と、さまざま語らへど、ふつといらへもせず。 その時、いたう恨みて、「わが身は、しかじかの者に侍り。菩提心を発(おこ)して、世を遁れ身を捨てて、山林にまどひ歩(あり)き侍れば、志おなじきゆゑに、ことに随喜し奉るうちにも、女の身には、ことにふれてさはりあり。かく思し立ちけんことの、かへすがへすもあはれにたぐひなく思えて侍り。かつは、『細かに承りて、わが心をも励まし侍らむ』と思ふなり。深くへだて給へば、いと本意ならず」なんど、細かにうち口説き恨むれば、とばかりためらひて言ふやう、「『隠し申さん』とも思ひ侍らず。年ごろここに住み侍れど、いまだかく尋ね来る人もなきを、思ひかけず来たり給へれば、何となく心さはぎて、御いらへもとどこほり侍るばかりなり。我らがありさま申し侍らん。昔、二十(はたち)ばかりの時、二人同じやうにて、上東門院((一条天皇中宮藤原彰子))につかうまつりて侍りしが、世のありさま移り行くを見るにも、高き賤しき、かたはしより隠れ行く。すべてこの世には心もとまらず。されば、ことに優なりし所の習ひに、色深き心とて、ことにふれつつ身も苦しく、罪の積らんことも恐しく侍りしかば、二人、申し合はせて、行方(ゆくへ)も知らず走り隠れにき。その後、ここかしこにへつらひ侍りしかど、人のあたりは何ごとにつけても住みにくく、心にかなはぬことのみ侍りしより、思ひがけぬここに跡をとめて、おのづから多くの年月を経たり。花の散り、葉の色付くを見て、春秋の経ぬることを数ふれば、四十余年になんなりぬる。住み初め侍りしころは、嵐もはげしく、はかなき鳥獣のはけしきまでもけうとき心地して、ことごと堪へ忍ぶべくもあらざりしかど、今は住みなれて、たまさかに立ち出でたる時も、ここを栖(すみか)と急ぎ帰り詣で来れば、『さるべかりけること』と、あはれに侍るなり。何とならはせることにか、生ける数とて、雲風に身をまかせても、縁(え)なければ、一人一人代はりて、十五日づつ里に出でて、今一人を養ふわざをなんし侍る。この並べる庵の内に、窓をあけて、わづかにとぶらひ侍るを頼りにて、ただ明け暮れは念仏し侍るなり」と、まめやかしく、あてなるけはひにて、語るまじきをも思えず、袖をしぼりつつ、一仏浄土の契りを結びて帰りぬ。 また、その後、麻の衣・時料なと用意して、尋ね行きたりければ、庵の跡はさながら、行方も知らず隠れにけり。 人の心同じからねば、その行ひもさまざまなれど、女の身にて、かかる棲(すまひ)思ひ立ちけん、おぼろけの道心にはあらざるべし。今、このことを思ふに、けがらはしく、あだなる身を、山林の間にやどし、命を仏にまかせ奉りて、清浄不退の身を得んことは、げに心がらによるべき行ひなり。 静かに過ぎぬることを思へば、輪廻生死のありさま、限りもなし。ほとりもなし。「一人が一劫を経る間に、身を捨てたるかばね、もし朽ちずして積らば毘留羅の山のごとくならん」と言へり。一劫、なほかくのごとし。いはんや、無量劫をや。そのほど、もろもろの有情、一として受けざる身なく、苦といひ楽といひ、こととして経ざることなし。さだめて、仏の出世にも逢ひ、菩薩の教化にもあづかりけむ。 しかあれど、楽しみを受けたる時は楽しびにふけりて忘れ、苦しびにあへる時には苦しびを憂へて怠りしゆゑに、今なほ凡夫のつたなき身として、出離の期(ご)を知らざるなり。過去のおろかなることを思ふに、未来もまたかくのごとくこそ、 おほかた、諸仏菩薩と申すも、もとは皆凡夫なり。われらが父母ともなり、妻子・眷属とも互ひになり給ひけん。されど、かれは、賢く勤め行ひて、すでに三界を出で給へり。われらは、信なく行なかりしかば、生死の巣守(すもり)として、昔の結縁のゆゑに、わづかに御名を聞き、誓ひを仰ぐことを得たり。今、幸ひに、肩を並べたる人の、勤め行ひて、生死を離んにも、また遅れなんとす。 そもそも、仏になることは、釈尊の往古を聞けば、三僧祇百大劫が間、あるいは、無量阿 僧祇劫を、ますます久しく行じ給ふとも説けり。その時節のはるかなるのみにあらず、尸毘大王としては鴿(はと)に替り、薩埵王子としては虎に身を投ぐ、かくのごとく難行苦行して、仏身を得給へり。 「行をして、いづれの所を願ふべし」と思ふに、過去に経て過にし天上の楽しび、何にかはせん。多生を隔つれば、遠き縁を期するにあぢきなし。ただ、このたび、いかにもして、不退の土(ど)に至りて、やうやう進みて、つひに菩提に至らんことを励むべきなり。 しかるを、かの極楽世界、願はば生れぬべし。そのゆゑは、本願にいはく、「われ、仏を得たらんに、十方の衆生、心を至して信楽(しんらく)((読みは底本の振り仮名による。通常「しんげう」))して、『わが国に生れん』と願ひて、乃至(ないし)十念せんに、生れずといはば正覚をとらじ」と誓ひ給へり。下品下生の人を説くには、「四重五逆を作る悪人なれども、命終の時、善知識の勧めにあひて、十度『南無阿弥陀仏』」と申せば、猛火たちまちに滅して、蓮台にのぼる」と説けり。あるいは、「極重悪無他方便。唯称弥陀得生彼国」とも言ひ、また、「若有重業障、無生浄土因。乗弥陀願力、必生安楽国」とも、「其仏本願力。聞名欲往生。皆悉到彼国。自致不退転」とも説けり。 これらの説のごとくは、「われら流来生死のつたなき凡夫なり。たちまちに不退の浄土に生まれがたし」と卑下すべからす。娑婆と極楽と縁深く、弥陀とわれらと契り久しきがゆゑに、仏の不思議、神通方便をもて矌劫(くわうごふ)の勤修(ごんしゆ)を、一日七日の行につづめ、六度の難行を一念十念の称名にかうぶらしめて、早く不退に至りやすく、すみやかに菩提を得べき道を教へ給へり。 まことに、多く百千劫の苦行、仏の御為には何かせん。ただ、少時の念仏のみぞ、その本願にはかなへる。われ、仏を念ずれば、仏、われを照らし給ふ。仏、われを照らし給へば、諸罪ことごとく消滅して、往生すること疑はず。かの聖を見ぬは、悪業の眼のとがなり。大悲、そむくことなし。滅罪、疑ふべからす。しかれば、みづからが励みにはかたかるべければ、仏の不思議の願力に乗ずるがゆゑに、すみやかに至ることを得るなり。 これ、十住毗婆娑論にいはく、陸路と船路との喩へのごとし。いかにいはんや、われは宿善すでにあらはれて、あひがたき仏法にあへり。有縁の悲願を聞くに、また、機感の至れることを知り、また、罪深けれど、いまだ五逆を作らず。信浅けれど、誰か十念を唱へざらん。時はこれ、弥陀利物のさかり、所はまた、大乗流布の国なり。賢愚をもいはず、道俗をもえらばず、「財宝を施せよ」とも説かず、「身命を投げよ」とものたまはず、ただねんごろに弥陀悲願を頼み、口に名号を唱へ、心に往生を願ふこと深くは、十人ながら、必ず極楽に生まるべきなり。 それ、もろもろの道理を守りて是非すとも、有縁のわれらがためにおこし給へる大悲の別願なれば、法相にもたがひ、因果のことわりもそむけり。思ひのほかの喜びなるべし。仰いで信ぜずはあるべからず。 経に説けるがごとくは、われら弥陀仏を念じて、仏の願力に乗じて、必ず極楽に生まるべきことを、六方恒沙のもろもろの仏、舌をのべて、三千界に覆ひて、「これ、まことなり」と証明し給ふ。仏と仏とは、何のおぼつかなきことかはおはします。ただ、われらが疑ひを絶たんがためにこそ侍らめ。 凡夫の習ひ、われも人も、この世のことにのみうつりて、さらに厭ふことなく、身は世の塵にのみ着して、もろもろの罪作りて、弥陀の誓ひの、ありがたく、極楽の詣でやすきことを聞けども、信ずるともなし。疑ふともなし。耳にも入らず。心にもそまず。願ふ心なければ、また、勤むることもなし。一期、夢のごとくに過ぎなば、三途、眼(まなこ)の前に来たるべし。されば、「四十八願荘厳浄土。華池宝閣易往無人」とも侍るにこそ。 すべて、生きとし生けるものの中に、人の悟りことにすぐれ、空をかける翅(つばさ)、海に住む鱗(うろくづ)、これを得るに難からず。木を切り、海を渡る。獣をしたがへて家へ行く。蚕を飼ひて絹を織り、真金(まがね)を溶きて器物(うつはもの)を鋳るまでも、ことにふれ、ものにしたがひて、いづれか凡夫のしわざと思ゆる。 しかあれど、目の前に無常を見ながら、日々に死期の近づくことを恐れぬことは、智者もなし、賢人もなし。老いが死するのみにあらず。若きもまた死す。今日は人の上、明日は身の上なる無常を悟らぬは、この深き無明の酒に酔(ゑ)ひ、長夜(ぢやうや)の闇に迷(まよ)へるなり。 早く、この理を説いて、あだなる残りの命を頼まず、離れやすき恩愛のきづなにつながれずして、このたび、頭燃(づねん)を払ふがごとくして、喉のかはけるに水を飲むがごとくに願ふべし。手をむなしくして帰ることなかれ。 ただし、諸行は宿執によりて進む。みづから勤めて、執して、他の行そしるべからず。一華一香、一文一句、みな西方に廻向せば、同じく往生の業(ごふ)となるべし。水は溝をたづねて流る。さらに、草の露・木の汁を嫌ふことなし。善は心にしたがひておもむく。いづれの行か、広大の願海に入らざらんや。 ===== 翻刻 ===== 上東門院女房住深山事 厭穢土欣浄土事 或聖都ホトリヲ厭ココロ深クテ住ヌベキ所ヤアルト 尋アリキケル程ニ。北丹波ト云フカキ谷ニ至リテ 跡タエタル太山ノ奥ノ方ニ河ヨリ切花ノカラノ流出 タルアリ。イトアヤシクテイカナル人ノ。イカニシテ住 ラムト覚束ナサニ尋ツツハルカニ分入テ見レバ。カタノ 様ナル柴ノ菴リノ軒ヲナラベテ二アリ。最メヅラ/n28r カニ覚ヘテ近クアユミヨル程ニ。窓ヨリ其形トモナ ク黒ミ衰タル人ワヅカニサシ出テ人ノ気色ヲ見テ ヒキイリヌ。哀サ申シシ物ヲ花ガラヲ谷ニ散シ給 ヒテト云フヲ聞ケバ女声ナリ。濁レル末ノ世ニモカカル 住居スル人ハ有物カハト難有覚ユルニモ先涙ヲチテ。 イカナル人ノカクテヲハシマスゾ。身ニタエタル我等ダ ニ猶エ思ヒトリ侍ラヌヲ。イトイト希有ノ御志ナリヤト サマサマ語ヘドフツトイラヘモセズ其時イタフ恨ミテ 我身ハシカシカノ者ニ侍リ菩提心ヲ発シテ世ヲ遁レ 身ヲ捨テ山林ニマトヒアリキ侍レバ志オナジキ故ニ/n28l コトニ随喜シ奉ルウチニモ女ノ身ニハ事ニフレテサハ リ有カクオボシ立ケン事ノ返々モ哀ニタグヒナク 覚ヘテ侍リ。且ハコマカニ承テ我ガ心ヲモ励シ侍ム ト思フナリ。深クヘダテ給ヘバイト本意ナラスナント コマカニ打口説恨レバ。ト計タメラヒテ云様カクシ申 サントモ思侍ラズ。年来ココニ住侍レド。イマタカク 尋来ル人モ無ヲ。思ヒカケズ来リ給ヘレバ。何トナク心 サハギテ御イラヘモトトコホリ侍ル計ナリ。我等カ 有様申侍ラン。昔廿バカリノ時フタリ同様ニテ上東 門院ニツカフマツリテ侍シガ。世ノアリサマウツリ行/n29r ヲ見ルニモ。タカキ賤カタハシヨリカクレ行。スベテ此世ニ ハ心モトマラズ。サレバ殊ニイフナリシ所ノ習ニ色フカキ 心トテ事ニフレツツ。身モクルシク罪ノツモラン事モ ヲソロシク侍リシカバ。フタリ申合テ行エモシラズ走 リカクレニキ。其後ココカシコニヘツラヒ侍シカド。人ノ アタリハ何事ニツケテモ住ニクク心ニ叶ハヌ事ノミ 侍シヨリ。思カケヌ爰ニ跡ヲトメテ。ヲノヅカラ多クノ 年月ヲ経タリ。花ノチリ葉ノ色ヅクヲ見テ春秋 ノ経ヌル事ヲカゾフレバ四十余年ニナン成ヌル。住初 侍シ比ハ嵐モハゲシク。ハカナキ鳥獣ノハケシキ迄モ/n29l ケウトキ心地シテ。コトコト堪忍ベクモアラザリシカ ド今ハ住ナレテタマサカニ立出タル時モ爰ヲ栖ト イソキ帰マウデクレバ。サルベカリケル事ト哀ニ侍ル 也。ナニトナラハセル事ニカイケル数トテ雲風ニ身ヲ マカセテモ。エナケレバ。独々カハリテ十五日ツツ里ニ出 テ今一人ヲ養フワザヲナンシ侍。コノ並ル菴ノ内ニ窓 ヲアケテ僅ニトフラヒ侍ヲタヨリニテ只明暮ハ念 仏シ侍ルナリト。マメヤカシク。アテナルケハヒニテ。語ル マシキヲモオホヘズ袖ヲシホリツツ一仏浄土ノ契リヲ 結ビテ帰リヌ。又其後アサノ衣時レウナト用意シ/n30r テ尋行タリケレハ。菴ノ跡ハサナガラ行方モシラスカ クレニケリ。人ノ心同ジカラネバ其行モサマサマナレト。女 ノ身ニテカカル棲オモヒ立ケン。オホロケノ道心ニハアラ ザルベシ。今此事ヲ思フニ。ケガラハシクアダナル身ヲ山 林ノ間ニヤドシ命ヲ仏ニマカセ奉テ清浄不退ノ身 得ン事ハゲニ心カラニヨルベキ行也。静ニ過ヌル事ヲ思 ヘバ輪廻生死ノアリサマ限リモナシ。ホトリモナシ。一人 ガ一劫ヲフル間ニ身ヲ捨タルカバネ若朽ズシテ積ラ バ毗留羅ノ山ノ如ナラント云ヘリ一劫猶如此況ヤ無 量劫ヲヤ。其ホドモロモロノ有情一トシテウケザル身ナク。/n30l 苦トイヒ楽トイヒ。事トシテ経ザル事ナシ。定メテ仏ノ 出世ニモ逢。菩薩ノ教化ニモアヅカリケム。シカアレド楽 ヲ受タル時ハタノシヒニフケリテ忘レ。苦ニアヘル時ニハ 苦ヲウレヘテ怠リシ故ニ。今猶凡夫ノツタナキ身トシ テ出離ノ期ヲシラザルナリ。過去ノヲロカナル事ヲ思 フニ未来モ又如此コソ大方諸仏菩薩ト申モ本ハ皆 凡夫ナリ。我等ガ父母トモ成。妻子眷属トモタカヒニ 成給ヒケン。サレドカレハ賢ク勤ヲコナヒテ既ニ三界ヲ 出給ヘリ。我等ハ信ナク行ナカリシカバ。生死ノスモリ トシテ昔ノ結縁ノユヘニ僅ニ御名ヲキキ誓ヲ仰ク/n31r 事ヲ得タリ。今幸ニ肩ヲナラベタル人ノツトメ行テ生 死ヲ離ンニモ又オクレナントス。抑仏ニナル事ハ釈 尊ノ往古ヲキケバ。三僧祇百大劫カ間或ハ無量阿 僧祇劫ヲマスマス久ク行ジ給フトモ説リ。其時節ノハ ルカナルノミニ非ス。尸毘大王トシテハ鴿ニ替リ薩埵 王子トシテハ虎ニ身ヲナグ如此難行苦行シテ仏 身ヲ得タマヘリ。行ヲシテイヅレノ所ヲ可願ト思フ ニ。過去ニ経テ過ニシ天上ノ楽ヒ何カハセン。多生 ヲ隔レバ遠キ縁ヲ期スルニアヂキナシ。只此度イカ ニモシテ不退ノ土ニ至リテ。ヤウヤウ進ミテ終ニ菩提/n31l ニ至ラン事ヲハゲムベキナリ。然ルヲ彼極楽世界 ネガハハ生ヌベシ。其故ハ本願ニ云我仏ヲ得タランニ十 方ノ衆生心ヲ至シテ信楽シテ我国ニ生レント願 ヒテ乃至十念センニ生レズトイハハ正覚ヲトラジト 誓給ヘリ。下品下生ノ人ヲトクニハ。四重五逆ヲ作ル 悪人ナレドモ命終ノ時善知識ノ進メニアヒテ十度 南無阿弥陀仏ト申バ猛火忽ニ滅シテ蓮台ニノボ ルト説リ或極重悪無他方便。唯称弥陀得生彼 国。トモイヒ。又若有重業障無生浄土因乗弥陀願 力必生安楽国トモ其仏本願力。聞名欲往生。皆悉/n32r 到彼国。自致不退転トモ説リ此等ノ説ノ如ハ我等流 来生死ノツタナキ凡夫也。忽ニ不退ノ浄土ニ生ガタシ トヒゲスベカラス。娑婆ト極楽ト縁フカク弥陀ト我 等ト契久キガ故ニ仏ノ不思儀神通方便ヲモテ矌 劫ノ勤修ヲ一日七日ノ行ニツツメ。六度ノ難行ヲ一 念十念ノ称名ニカウフラシメテ。早ク不退ニ至リヤ スク。速ニ菩提ヲ得ベキ道ヲヲシヘ給ヘリ。実ニ多 百千劫ノ苦行仏ノ御為ニハナニカセン。只少時ノ念仏 ノミゾ其本願ニハカナヘル。我仏ヲ念ズレバ仏我ヲテ ラシ給フ。仏我ヲ照シ給ヘバ諸罪悉ク消滅シテ往/n32l 生スル事ウタガハズ。彼聖ヲ見ヌハ悪業ノ眼ノトガ也。 大悲ソムク事ナシ。滅罪ウタガフベカラス。然レハミヅカ ラガ励ミニハ難カルヘケレバ。仏ノ不思儀ノ願力ニ乗ル カ故ニスミヤカニ至ル事ヲ得也。是十住毗婆娑論ニ 云ク陸路ト船路トノタトヘノ如シ。何況ヤ我ハ宿善ス デニアラハレテ難会仏法ニアヘリ。有縁ノ悲願ヲ聞ニ 又機感ノイタレル事ヲシリ。又罪フカケレド未五逆 ヲツクラズ。信アサケレド誰カ十念ヲ唱ヘザラン時ハ 是弥陀利物ノサカリ所ハ又大乗流布ノ国也賢愚 ヲモイハズ。道俗ヲモヱラハズ。財宝ヲ施セヨトモ説ズ。/n33r 身命ヲナゲヨトモノ給ハズ。只懇ニ弥陀悲願ヲタノミ 口ニ名号ヲ唱ヘ心ニ往生ヲ願事フカクハ。十人ナガラ必 極楽ニ生ベキ也。ソレモロモロノ道理ヲマモリテ是非ス トモ有縁ノ我等カ為ニヲコシ給ヘル大悲ノ別願ナレ バ法相ニモタガヒ因果ノコトハリモソムケリ。思ノ他ノ ヨロコビナルベシ。仰テ信ゼズハ有ベカラズ経ニトケルカ 如ハ我等弥陀仏ヲ念ジテ仏ノ願力ニ乗ジテ必極 楽ニ生ベキ事ヲ六方恒沙ノモロモロノ仏舌ヲノベテ 三千界ニヲホヒテ是実ナリト証明シ給フ。仏ト仏 トハ何ノ覚束ナキ事カハヲハシマス。只我等カ疑ヲ/n33l タタンガ為ニコソ侍ラメ。凡夫ノナラヒ我モ人モ此世ノ 事ニノミウツリテ更ニイトフ事ナク。身ハ世ノ塵ニノ ミ著シテ諸ノ罪ツクリテ弥陀ノ誓ノアリガタク極 楽ノ詣ヤスキ事ヲキケドモ信ズルトモナシ。疑フトモ ナシ。耳ニモ入ス。心ニモソマス。願フ心ナケレハ又ツトムル 事モナシ。一期夢ノ如クニ過ナバ三途マナコノ前ニ来 ルベシ。サレバ四十八願荘厳浄土華池宝閣易往無人 トモ侍ルニコソ。惣テイキトシイケルモノノ中ニ。人ノサト リ殊ニスクレ。空ヲカケル翅海ニスム鱗コレヲ得ニ難 カラズ。木ヲキリ海ヲ渡ル。獣ヲシタカヘテ家ヘ行ク。/n34r 蚕ヲカヒテ絹ヲ織マカネヲトキテ器物ヲイル迄 モ事ニフレ物ニシタガヒテ何カ凡夫ノシワザト覚ル。 シカアレド目ノ前ニ無常ヲ見ナガラ日々ニ死期ノ 近ヅク事ヲ恐ヌ事ハ智者モナシ。賢人モナシ。老ガ 死スルノミニ非ス。若キモ又死ス。今日ハ人ノウヘ明日ハ 身ノウヘナル無常ヲサトラヌハ此深キ無明ノ酒ニ酔 長夜ノヤミニ迷ヘルナリ。早ク此理ヲ説テアダナル 残ノ命ヲタノマズ。離ヤスキ恩愛ノキヅナニツナカレ ズシテ此タビ頭燃ヲ払フガ如クシテ。喉ノカハケルニ 水ヲノムガ如ニネカフベシ。手ヲムナシクシテ帰事ナカ/n34l レ但諸行ハ宿執ニヨリテ進ム。ミヅカラツトメテ執シテ 他ノ行ソシルベカラス。一華一香一文一句皆西方ニ廻 向セバ。ヲナジク往生ノ業トナルベシ。水ハ溝ヲタヅネテ ナガル更ニ草ノ露木ノシルヲキラフ事ナシ。善ハ心 ニシタガヒテ趣ク。イヅレノ行カ広大ノ願海ニ入ザラン ヤ 発心集第六/n35r