発心集 ====== 第六第11話(73) 乞者の尼、単衣を得て寺に奉加する事 ====== ===== 校訂本文 ===== あるなま宮仕へ人の、清水((清水寺))に籠りたりける局(つぼね)の前に、色白(しら)ばみ、されほれたる老尼の、影のごとく痩せ衰へたる、物を乞ひ歩(あり)くありけり。十月ばかりに、汚なげなる破れ帷(かたびら)一つ着て、上に蓑を着たりけり。 見る人、「あないみじのさまや。雨も降らぬに。など、蓑を着たるぞ」と問ふ。「これより ほかに持ちたる物なければ、寒さは寒し、ずちなくて」など答ふるを、「暖まりあるべしとこそ思えね」など言ひて、笑ひけり。 果物など食はせたれば、うち食ひて立ちけるを、いかが思ひけん、呼び返して、単(ひとへ)をなん一つ推し出だしたり。 悦びて取りて去ぬと思ふほどに、同じ寺に奉加勧むる所に行きて、硯乞ひて、いと美しき手にて、この歌を書き付けつつ、単を置きて、いづちともなく隠れにけり。   かの岸に漕ぎ離れたるあまなればおしてつくべき浦も持たらず ===== 翻刻 ===== 乞者尼得単衣奉加寺事 或ナマ宮仕人ノ清水ニ籠リタリケル局ノ前ニ。色シ ラバミサレホレタル老尼ノカゲノ如クヤセ衰ヘタル物 ヲ乞アリク有ケリ。十月ハカリニキタナゲナル破帷 一ツ著テウヘニ蓑ヲ著タリケリ。見ル人アナイミジ/n26r ノサマヤ。雨モフラヌニ。ナド蓑ヲ著タルゾト問フ是ヨリ 外ニ持タル物ナケレバ。寒サハサムシスチナクテナト答 フルヲ。アタタマリアルベシトコソ覚ヘネナド云テワラヒ ケリ。クタ物ナド喰セタレバ。打クヰテ立ケルヲ。イカカ 思ヒケン呼カヘシテ単ヲナン一ツ推出シタリ。悦ビテ取 テイヌト思ホドニ。ヲナジ寺ニ奉加ススムル所ニユキテ。 硯コヒテイトウツクシキ手ニテ此歌ヲカキ付ツツ単 ヲ置テイヅチトモナク隠レニケリ カノ岸ニコギ離タルアマナレバヲシテツクベキ浦モモタラス/n26l