発心集 ====== 第六第2話(64) 后宮の半者、一乗寺僧正入滅を悲しむ事 ====== ===== 校訂本文 ===== 一乗寺の僧正((増誉))、かくれ給ひて後、そのはてのわざしける日、朝より、若き女房の壺装束したるが、涙抑へつつ、向ひわたりにたたずむありけり。人々、あやしう思ひて、ことまぎるる日なれば、わざと尋ね問ふ人なし。 すでに仏事始まりて後、この女房、人にまじりて聴聞す。初めより終りまで、泣くことおこたらず。その気色、世のつねのことにあらず。目立たしきほどに見えければ、ある人「この女房のさまこそ心得ね。かやうに集まり見ゆるを、もし、悪しざまにとりなす人もあらば、亡き御かげにも見苦しかりぬべし。いさ、追ひ出ださん」と言ふ。また、あるいは、「やうこそはあらめ。いかが説法の時泣くとて、追ひ出だすべき。情けなくあらん。そのゆゑを問ふべき」など、安からず言ひしらふほどに、わざ終りぬ。 聴聞の人ども、やうやう行きけるにも、この女房、いとど泣きまさりて、急ぎ出でんともせず。返り見がちにて、立ちわづらふを見れば、年二十ばかりなり。形などもいときよげなるを、化粧はみな涙に洗はれて、浅からず思ひ入りたるさまなり。 おぼつかなさのあまり、ある人、さし寄りて、そのゆゑを問ふ。女の言ふやう、 「われは、故僧正御房の御あはれみを蒙(かうぶ)りたる身にて侍るなり。隠し申すべきことにあらず。わが身、昔捨子にて、河原に侍りけるを、故御房の御歩(あり)きのついでに御覧じつけて、あはれみ給ひて、なにがしといひし大童子に仰せ付けられて、養ひ給ひしあひだ、ひとへに御いとほしみにて人となり侍るを、十三と申せし年、この養ひ親、夫妻ともに、同じ時に悪しき病をして、失せ侍りにしかば、思ふ方なくて、かれが親しき者のもとへ尋ねまかりて、おのづから迷ひ侍りしほどに、さるべきにや侍りけん、思ひかけぬゆかりにて、一年(ひととせ)后(きさい)の宮の御半者(おんはしたもの)に参りて侍るなり。 たかき御影に隠れて侍れば、わびしきことも侍らねど、父母、世にや侍らむ、知り給はず。養ひ立てたりし親は、跡なくなりにき。ただひとりうどにて、心細く、あはれなる身のありさまを思ふにも、またありがたく侍るなり。『人の身の、はかなくてやみぬべかりけること』と思ひつづけ侍るにも、とにかくに故僧正御房の御あはれみのかたじけなさ、片時(かたとき)忘るるひまも侍らず。朝ごとに鏡の影を見ても、『誰ゆゑ人となる身を』と思ふ折節、装束を給ひ、身にとりて面目あるやうなる折にも、いつも((「いつも」は、底本「も」なし。諸本により補入。))御方に迎へて、涙を落しつつ、ことにふれて、あはれに報じがたくなむ思ひ侍りし。 されども、あやしくかたがた便りあやしきさまなれば、申しひらく方も侍ず。すべて、無縁の御あはれみより発(おこ)りしことを悦び申さんにつけても、さすがに侍り。『あはれ、わが身、男ならましかば、いかなる様にても、御あたりにこそはつかうまつらまし』と、かひなき女の身を恨みて、むなしく過ぎ侍りしかど、世におはしまししほどは、何となく頼もしく侍りき。をのづから、宮仕へせし時より、よそながら拝み奉れば、いみじき悦びをしたるやうに思えて、それになぐさみつつまかり過ぎしを、『かくれ((「かくれ」は底本「カクシ」。諸本により訂正。))給へり』と承りしかば、世の中かきくらせる心地して、『かくして、ながらふべし』とも思え侍らず。 『今日、御はて』と承りつれば、『また、いつかはこれほどに御名残を承らん。今は今日にこそ』と思ひて、宮仕へさしあふ日にて侍りつれど、障りを申してなむ、朝よりこの御あたりにたたずみ侍る。今わざ終りてまかり出づるに、すべて涙にくれて、帰るべき道も思え侍らず」と言ひもやらず、よよと泣く。 これを聞く人、あやしみて、「追ひ出ださん」と言ひつる者まで、涙を流してあはれみけり。 もろもろのこと、めづらしく耳近きを先とする習ひなれば、何わざにつけても、さしあたりてきはやかなる恩など蒙(かうぶ)れるをこそ悦ぶめれ。かやうにおほぞらなることを忘れず、心にかくることは、いとありがたかるべし。誰々も、思ひ知る人も、年月積りゆけば、すなはちのやうにやはある。 されば、かの、村上の御門((村上天皇))の御服(ごふく)を着て、一期つひに脱がでやみけんこと(([[:text:jikkinsho:s_jikkinsho05-02|『十訓抄』5-2]]参照))などをば、あはれにありがたきためしにこそは言ひ伝へ侍りぬれ。しかあるを、はかなき女の心に、さしも尽きせず思ひしめたりけん情の深さ、なほたぐひなくぞ侍る。 ===== 翻刻 ===== 后宮半者悲一乗寺僧正入滅事 一乗寺ノ僧正カクレ給テ後。ソノハテノ事シケル日。朝 ヨリ若キ女房ノツボ装束シタルガ涙オサヘツツ向ワタリ ニタタズム有ケリ。人々アヤシウ思テ事マギルル日ナレバ/n6l ワザト尋問人ナシ。ステニ仏事ハジマリテ後。此女房 人ニマジリテ聴聞ス。初メヨリ終リマデ泣事ヲコタラ ズ。其ケシキヨノツネノ事ニ非ス。目タタシキ程ニ見ヘケ レバ。或人此女房ノサマコソ心得ネ。カヤウニ集リ見ユル ヲ若アシサマニトリナス人モアラバ。無御カゲニモ見苦 カリヌベシ。イサ追出サントイフ。又或ハヤウコソハ有ラメ。イ カカ説法ノ時泣トテ追出スベキ情ナクアラン。其ユヘ ヲ問ベキナドヤスカラズ云シラフ程ニ。事オハリヌ聴 聞ノ人ドモヤウヤウ行ケルニモ此女房イトト泣マサリテ。 急キ出ントモセズ。カヘリ見ガチニテ立ワヅラフヲ見レバ/n7r 年廿計也カタチナドモ最キヨゲナルヲ。ケシヤウ ハ皆涙ニアラハレテ。浅カラズ思入タル様ナリ覚束 ナサノ余アル人サシヨリテ其故ヲトフ。女ノ云様ワ レハ故僧正御房ノ御アハレミヲ蒙タル身ニテ侍ナリ。 カクシ申ベキ事ニアラズ。我身ムカシ捨子ニテ河原 ニ侍リケルヲ。故御房ノ御アリキノ次ニ御覧シツ ケテ哀ミ給テナニガシト云シ大童子ニ仰付ラレテ 養ヒ給ヒシ間。ヒトヘニ御イトヲシミニテ人トナリ侍ヲ。 十三ト申セシ年。此ヤシナヒ親夫妻トモニ同時ニア シキ病ヲシテ失侍ニシカバ思フ方ナクテ。カレカシタ/n7l シキ者ノモトヘ尋罷テヲノヅカラ迷ヒ侍シ程ニ。サル ベキニヤ侍リケン。思カケヌユカリニテ。一年キサイノ 宮ノ御半者ニマイリテ侍ルナリ。タカキ御影ニカクレ テ侍バ侘シキ事モ侍ラネド。父母世ニヤ侍ラムシ リ給ハス養ヒ立タリシ親ハ跡ナクナリニキ。只ヒトリ ウドニテ心ボソク哀ナル身ノ有様ヲ思ニモ又アリ ガタク侍ルナリ。人ノ身ノハカナクテヤミヌベカリケ ル事ト思ツツケ侍ルニモ。トニカクニ故僧正御房ノ 御哀ミノ忝ナサ片時忘ルル隙モ侍ラス。朝ゴトニ鏡 ノ影ヲ見テモ誰ユヘ人トナル身ヲト思フ折節装/n8r 束ヲ給ヒ身ニトリテ面目アルヤウナル折ニモ。イツ 御方ニ迎テ涙ヲ落シツツ事ニフレテアハレニ報ジ ガタクナム思侍シ。サレ共アヤシク旁々便アヤシ キサマナレバ申披方モ侍ス。スベテ無縁ノ御アハレミ ヨリ発シ事ヲ悦ヒ申サンニツケテモ。サスガニ侍リ。 アハレ我身男ナラマシカバ。イカナル様ニテモ御アタ リニコソハ仕フマツラマシト。カヒナキ女ノ身ヲ恨テム ナシク過侍シカト世ニヲハシマシシ程ハ何トナクタノ モシク侍キ。ヲノヅカラ宮仕セシ時ヨリ。ヨソナガラ拝 ミ奉レバイミジキ悦ヲシタル様ニ覚ヘテ其ニナグサ/n8l ミツツ罷過シヲカクシ給ヘリト承シカハ。世中カキク ラセル心地シテ。カクシテ存フベシトモ覚エ侍ラス。 今日御ハテト承ツレバ。又イツカハ是程ニ御名残ヲ 承ラン。今ハケフニコソト思テ宮仕サシアフ日ニテ侍 ツレド。サハリヲ申テナム朝ヨリ此御アタリニタタズミ 侍。今事ヲハリテ罷出ルニ。スベテ涙ニクレテ帰ルベキ 道モ覚ヘ侍ズト云ヒモヤラズヨヨト泣。コレヲ聞人ア ヤシミテ追出ント云ツル者マデ涙ヲナガシテ哀ミ ケリ。モロモロノ事メヅラシク耳近キヲ先トスル習ナレ バ何ワザニツケテモ。サシアタリテキハヤカナル恩ナド/n9r 蒙フレルヲコソ悦ブメレ。カ様ニヲホゾラナル事ヲ忘 ス心ニカクル事ハ最有難カルベシ誰々モ思シル人モ 年月積リユケバ則ノ様ニヤハアル。サレバ彼村上御門 ノ御服ヲキテ一期ツヰニヌガテヤミケン事ナドヲ バ哀ニアリガタキタメシニコソハ云ヒ伝ヘ侍リヌレ。シカ アルヲハカナキ女ノ心ニサシモ尽セズ思シメタリケン 情ノフカサ猶タグヒナクゾ侍/n9l