発心集 ====== 第五第6話(53) 少納言公経、先世願に依つて河内の寺を作る事 ====== ===== 校訂本文 ===== 少納言公経((藤原公経))といふ手書(てかき)ありけり。県召(あがため)しのころ、心の内に 願を発(おこ)して、「もし、ことよろしき国賜はりなば、寺作らん」と思けるを、河内といふあやしの国の守になりたりければ、本意(ほい)なく思えて、「さらば、古き寺などをこそは修理(しゆり)せめ」と思ひて、国に下りにけり。 さて、その国の中に、ここかしこ見歩(あり)きけるに、ある古き寺の仏の座の下に文の見へけるを、披(ひら)きて見れば、「沙門公経」と書けり。怪しみて、細かに見れば、「来ん世にこの国の守となりて、この寺を修理せん」といふ願を立てたる文にてなんありける。 これを見て、「しかるべかりけること」と思ひ知りて、望みの本意ならぬことをもいさめつつ、信をいたして修理しける。書きたる文字の様(さま)なども、今の手につゆほども変らず似たりけり。伏見の修理大夫(しゆりのかみ)((藤原俊綱・橘俊綱。前世で同じ名前であったことは、[[:text:yomeiuji:uji046|『宇治拾遺物語』46]]参照))のやうに、昔、同じ名を付けるなりけり。 われも人も、先の世を知らねばこそはあれ。何事もこの世一つのことにては侍らぬを、むなしく心をくだき、走(わし)り求めて、かなはねば、神をそしり、仏をさへ恨み奉るは、いみじう愚かなり。 かつは、願の昔にたがはぬにて、願としてなるべきことを知るべし。 ===== 翻刻 ===== 少納言公経依先世願作河内寺事 少納言公経ト云手書有ケリ。アガタメシノ比心ノ内ニ 願ヲ発シテ若コトヨロシキ国給リナバ。寺作ラント思 ケルヲ河内ト云アヤシノ国ノ守ニナリタリケレバ本意ナ ク覚テサラバフルキ寺ナドヲコソハ修理セメト思ヒテ 国ニ下リニケリ。サテ其国ノ中ニココカシコ見アリキ ケルニ。或古キ寺ノ仏ノ坐ノ下ニ文ノ見ヘケルヲ披 テミレバ沙門公経トカケリ。アヤシミテ細カニ見レハ。 コン世ニ此国ノ守ト成テ此寺ヲ修理セント云願ヲ/n15r タテタル文ニテナン有ケル。是ヲ見テ然ルベカリケル 事ト思ヒシリテ望ノ本意ナラヌ事ヲモイサメツツ 信ヲイタシテ修理シケル。書タル文字ノ様ナドモ 今ノ手ニ露ホドモカハラズ似リケリ。伏見ノ修理ノカ ミノ様ニ昔同シ名ヲツケルナリケリ。我モ人モサキ ノ世ヲシラネバコソハアレ。何事モ此世ヒトツノ事ニテ ハ侍ラヌヲ空ク心ヲクダキ走リ求メテ。カナハネバ 神ヲソシリ仏ヲサヘウラミ奉ルハ。イミジウ愚ナリ。 カツハ願ノムカシニタガハヌニテ願トシテ成ヘキ事ヲ シルベシ/n15l