発心集 ====== 第四第4話(41) 叡実、路頭の病者を憐む事 ====== ===== 校訂本文 ===== 山に、叡実阿闍梨といひて、貴き人ありけり((「ありけり」は底本「有ナリ」。諸本により訂正))。 御門((円融天皇))の御悩み、重くおはしましけるころ、召しければ、たびたび辞し申しけれど、重ねたる仰せ、否(いな)み((「否み」は底本「イナモ」。諸本により訂正。))がたくて、なまじひにまかりける道に、あやしげなる病人の、足手もかなはずして、ある所の築地(つひぢ)のつらにひらがり伏せるありけり。 阿闍梨、これを見て、悲しみの涙を流しつつ、車より降りて、あはれみとぶらふ。畳、求めて敷かせ、上に仮屋さし覆ひ、食ひ物求めあつかふほどに、やや久しくなりにけり。 勅使、「日暮れぬべし。いといと便なきことなり」と言ひければ、「参るまじき。かく、その由(よし)を申せ」と云ふ。御使、驚きて、ゆゑを問ふ。阿闍梨、いふやう「世を厭ひて、心を仏道に任せしより、御門の御こととても、あながちに貴(たつと)からず。かかる非人とても、また愚かならず。ただ、同じやうに思ゆるなり。それにとりて、君の御祈りのため、験(しるし)あらん僧を召さんには、山々寺々に多かる人、誰かは参らざらん。さらにこと欠くまじ。この病者にいたりては、厭ひ汚なむ人のみありて、近付きあつかふ人はあるべからず。もし、われ捨てて去りなば、ほとほと寿(いのち)も尽きぬべし」とて、彼をのみ、あはれみ助くる間に、つひに参らずなりにければ、時の人、ありがたきことになん言ひける。 この阿闍梨、終りに往生をとげたり。くはしく伝((『続本朝往生伝』を指す。))にあり。 ===== 翻刻 ===== 叡実憐路頭病者事 山ニ叡実阿闍梨ト云テ貴キ人有ナリ御門ノ御ナ ヤミ重クヲハシマシケル比召ケレバ度々辞シ申ケレド。 カサネタル仰セイナモカタクテ。ナマシヰニ罷ケル 道ニ。アヤシゲナル病人ノ足テモ叶ハズシテ或所ノ築 地ノツラニ。ヒラガリ伏セル有ケリ。阿闍梨是ヲ見テ 悲ノ涙ヲ流ツツ車ヨリヲリテ哀ミ訪フ。タタミ求テシ カセ。上ニカリヤサシヲホヒ。クヰ物求アツカフ程ニ良/n10r 久クナリニケリ勅使日暮ヌベシ。イトイトヒンナキ事也 ト云ケレバ参ルマジキカクソノ由ヲ申セト云フ。御使 驚テユヘヲ問フ。阿闍梨云ヤウ。世ヲ厭テ心ヲ仏道 ニ任セシヨリ御門ノ御事トテモアナガチニタツトカ ラス。カカル非人トテモ又愚カナラズ。只同シヤウニ覚ユ ル也。ソレニトリテ君ノ御祈ノタメ。シルシアラン僧ヲメ サンニハ山々寺々ニ大カル人誰カハマイラザラン。更ニ 事カクマジ。此病者ニ至リテハ。イトヒキタナム人ノミ アリテ。近ツキアツカフ人ハアルベカラス。若我ステテサ リナバ。ホトホト寿モツキヌベシトテ彼ヲノミ哀ミタス/n10l クル間ニツヰニ参ラズナリニケレバ。時ノ人アリガタキ 事ニナン云ケル。此阿闍梨ヲハリニ往生ヲトゲタリク ハシク伝ニアリ/n11r