発心集 ====== 第三第7話(32) 書写山客僧、断食往生の事 此の如きの行を謗るべからざる事 ====== ===== 校訂本文 ===== 播磨書写山((円教寺))に、外よりうかれ来たる持経者ありけり。所の人の情けにてなむ、年ごろ過ぎける。 とりわき、長者なる僧をあひ頼みたりけるに、この持経者云ひけるやう、「われ、深く臨終正念にて極楽に生まれんことを願ひ侍れど、その終り知りがたければ、『ことなる妄念も起らず、身に病もなき時、この身を捨てん』と思ひ侍るなり。それにとりて、身灯(しんとう)・入海(にふかい)なんどは、ことざまもあまりきはやかなり。苦しみも深かるべければ、『食物(しよくぶつ)を断ちて、安らかに終りなん』と思ひ立ちて侍る。心一つにて、さすがなれば、かく申し合はするなり。あなかしこ、口より外(ほか)へ出だし給ふな。居所は南の谷にしめ置きて侍り。今はまかりこもるばかり。後は無言にて侍るべければ、申し承ることは今日ばかりなるべき」と言ひければ、涙を落しつつ、「いといとあはれなり。さほどに思ひ立たれたることなれば、とかく申すに及ばず。ただし、おぼつかなく思えん時、おのづから忍びつつ行きて、見申さんことは許し給ふや」と言ふ。「それはさらなり。へだて奉らねばこそ、かくは聞ゆれ」など、よくよく言ひ契りて、行き隠れぬ。 あはれに、ありがたく思えて、日々にも行き訪(とぶら)はまほしけれど、「うるさくぞ思はん」と、はばかるほどに、おのづから日ごろになりぬ。 七日ばかり過ぎて、教へし所を尋ね行きて、見れば、身一つ入るほどなる小さき庵を結びて、その内に経うち読みて居たり。さし寄りて、「いかに。身弱く苦しくなんどやおはする」など問へば、物に書き付けて、返事(へんじ)を言ふ。「日ごろ、いみじく苦しく思えて、心弱く、『終りもいかが』と思え侍りしを、この二三日が先に、まどろみたりし夢に、幼き童子の来たりて、口に水をそそくと見て、身凉しく、力も付きて、今は憂ふること侍らず。当時(そのかみ)の様ならば、終りも願ひのごとくならん」など言ふ。 いよいよ貴く、うらやましくて、返りて、またその後、あまりめづらかなることなれば、思ふに、さりがたき弟子などにこそは、おのづからも語りけめ。このこと、やうやう聞こえて、この山の僧ども、「結縁せん」とて、尋ね行く。 「あな、いみじ。さばかり口堅めしものを」と言へど、かなはず。はてには、郡(こほり)の内にあまねく聞こえて、近き遠きも集りののしる。この老僧、いたりて、心の及ぶかぎり制すれど、さらに耳に聞き入るる人だになし。かの僧は、ものを言はねど、いみじく侘(わび)しげに思へる気色を見るにも、ひとへにわが誤ちなれば、悔しくかたはらいたきことかぎりなし。 かくて、夜昼を分かず、さまざまの物投げかけ、米をまき、拝みののしれば、便りあるべしとも見えぬほどに、いかがしたりけん、この僧、夜、いづちともなくはひ隠れぬ。ここら集まる者ども、手を分けて、山を踏みあさり、求むれども、さらになし。「さても不思議なりや」なんど言ひてげる。 後。十余日経てなん、思ひがけず、かの跡を見付けたりけん、もとの所、わづかに五六段ばかりのきて、いささか真柴深く生ひたるかぐれに、仏経と紙衣とばかりぞありける。 この三四年がほどのことなれば、かの山に見ぬ人なしとぞ。末の世にはいとありがたきことなりかし。 すべては、もろもろの罪を作る、みなこの身ゆゑなれば、かやうに思ひ取りて、終りをも往生をも望まんには、何の疑ひかあらん。しかれど、濁世の習ひ、わが分ならぬこと事を願ひ、ややもすれば、これを謗(そし)りていはく、「先の世に、人に食ひ物を与へずして、分を失へる報ひに、おのづからかかる目を見るぞ」とも言ひ、あるいは、「天魔の、心をたぶらかして、人を驚かして、後世を妨げんとかまふるぞ」なども言ふべし。まことに、宿業は知りがたきことなれど、さのみ言はば、いづれの行かは、楽しく豊かなる。みな、欲しき味はひを忍び、身を苦しめ、心をくだくをもととす。これ、ことごとく人をわびしめたる報ひとや定めんとする。いはんや、仏菩薩の因位の行、みな、法を重んじ、分を軽(かろ)くす。その跡を追はぬ、わが心のつたなきにてこそあらめ。たまたま学ぶべきを謗るには及ばざることなり。 かの善導和尚は、念仏の祖師にて、この身ながら証を得給へる人なり。往生、疑ふべくもあらざりしかど、木の末に登りて、身を投げ給へり。人の為は、悪しきことをし初め給はんやは。 また、法華経にいはく、「若し、人心を起こして、菩提を求めんと思はば、手の指・足の指をとぼして、仏陀に供養せよ」と。「国・城・妻子、及び、太子・国土・もろもろの宝をもて供養するに勝(すぐ)れたり」とのたまへり。 このこと、うち思ふには、人の身を焼く、皮臭くけがらはし。仏の御ために、何の御用やはあらん。言はば、一房の花にも劣り、一ひねりの香にも及びがたけれど、心ざし深くして、苦しみを忍ぶゆゑに、大きなる供養となるにこそはあらめ。 さるにては、もし、人いさぎよき心を発(おこ)して思はく、「太子・国土、勝れたる供養とのたまはばこそ、われらがためにはかたからめ。この身はわが有なり。しかも、夢のごとくして、むなしく朽ちなんとす。何かは一指に限らん。さながら、身命を仏道に投げて、一時の苦しみ、無始生死の罪をつくのひ、仏の加被(かひ)に、よく臨終正念なることを得ん」と、深く思ひ取りて、食ひ物をも断ち、身灯・入海をもせんには、たれゆゑ発し給へる悲願なればか、引接(いんぜふ)し給はざらん。 さらば、今の世にも、かやうの行にて終りを取る人、まのあたり異香匂ひ、紫雲たなびきて、その瑞相あらたなる((「あらたなる」は底本「アラタトル」。誤写とみて訂正。))ためし多かり。すなはち、かの童子の水をそそきけんも、証にはあらずや。 あふぎて信ずべし。疑ひて何の益かはある。しかるを、わが心の及ばぬままに、みづから信ぜぬのみならず、他(た)の信心をさへ乱るは、愚痴の極まれるなり。 ===== 翻刻 ===== 書写山客僧断食往生事 不可謗如此行事 播磨書写山ニ外ヨリウカレ来タル持経者アリケリ所ノ 人ノナサケニテナム年比過ケル。取ワキ長者ナル僧ヲ 相憑タリケルニ此持経者云ケル様。我フカク臨終正念 ニテ極楽ニ生レン事ヲネカヒ侍レド。其ヲハリ知ガタケレ バ。コトナル妄念モ起ラズ身ニ病モナキ時。此身ヲ捨ント 思ヒ侍ナリ。ソレニ取テ身灯入海ナンドハ。コトザマモアマリ キハヤカナリ。クルシミモ深カルベケレバ。食物ヲ断テ。ヤ スラカニヲハリナント思立テ侍ル。心ヒトツニテサスガナ レバカク申合スル也穴賢口ヨリ外ヘ出シタマフナ居所/n13r ハ南ノ谷ニ卜置テ侍リ今ハ罷コモルバカリ後ハ無言ニ テ侍ベケレバ申承事ハ今日ハカリナルベキト云ケレバ涙 ヲ落ツツ。イトイト哀ナリ。サ程ニ思立レタル事ナレバ。トカ ク申ニヲヨバス但ヲボツカナクオボエン時ヲノヅカラ忍 ツツ行テ見申サン事ハ許シ給フヤト云フ其ハサラナリ。 ヘダテ奉ネバコソ。カクハ聞ユレナド。ヨクヨク云契リテ行カ クレヌ哀ニ有ガタクヲボヘテ日々ニモユキ訪ハマホシケ レト。ウルサクゾ思ハントハハカル程ニ。自ラ日比ニナリヌ七 日バカリ過テヲシヘシ処ヲ尋行テ見レバ身一ツ入ル程 ナル少キ菴ヲ結テ其内ニ経ウチヨミテ居タリ。サシヨ/n13l リテイカニ身ヨハククルシクナンドヤヲハスルナド問バ。物ニ 書付テ返事ヲ云フ日比イミジククルシク覚テ心ヨハ クヲハリモ如何ト覚ヘ侍シヲ。此二三日ガサキニマドロミタ リシ夢ニ。ヲサナキ童子ノ来リテ口ニ水ヲソソクト見テ 身ススシク力モツキテ今ハウレフル事侍ラス当時ノ様 ナラハヲハリモ願ノ如クナランナド云。イヨイヨ貴ク浦山 敷テ返テ又其後余リメヅラカナル事ナレバ思ニサ リガタキ弟子ナトニコソハ。ヲノツカラモ語リケメ。此事 ヤウヤウ聞テ此山ノ僧トモ結縁セントテ尋行。アナイミ ジサバカリ口堅メシ物ヲトイヘド不叶。ハテニハ郡ノ内ニ普/n14r 聞テ近キ遠キモアツマリノノシル此老僧イタリテ心ノ 及カキリ制スレド更ニ耳ニ聞入ルル人ダニナシ彼僧ハ物ヲ イハネド。イミジク侘シケニ思ヘルケシキヲ見ルニモ偏ニ 我アヤマチナレバ。クヤシクカタハライタキ事限ナシカ クテ夜ヒルヲ分ス様々ノ物ナゲカケ米ヲマキヲカミ ノノシレハ便アルベシトモ見ヘヌ程ニ。イカカシタリケン此 僧ヨルイヅチトモナク。ハイカクレヌ。ココラ集ル者トモ手 ヲ分テ山ヲフミアサリ求ドモ更ニナシ。サテモ不思 儀ナリヤナンド云テゲル。後十余日ヘテナン思カケズ 彼跡ヲ見ツケタリケン。モトノ所ワヅカニ五六タンバカリ/n14l ノキテイササカ真柴フカク生タルカグレニ仏経ト紙 衣ト斗ゾアリケル此三四年カ程ノ事ナレハ彼山ニ 見ヌ人ナシトゾ末ノ世ニハイト難有事ナリカシ。スベ テハ諸ノ罪ヲツクル皆此身故ナレバ。カヤウニ思取テヲ ハリヲモ往生ヲモ望マンニハ何ノ疑カアラン然ド濁世 ノ習ヒ我カ分ナラヌ事ヲネガヒ。ヤヤモスレハ是ヲソシリ テ云先ノ世ニ人ニクヒ物ヲ与ズシテ分ヲ失ヘルムクヒ ニ自ラカカルメヲミルゾトモ云ヒ或ハ天魔ノ心ヲタブラ カシテ人ヲ驚シテ後世ヲサマタゲントカマウルゾナドモ 云ベシ誠ニ宿業ハシリガタキ事ナレド。サノミイハハイヅ/n15r レノ行カハ。タノシクユタカナル皆ホシキ味ヲシノビ身ヲ クルシメ心ヲクダクヲモトトス。是悉ク人ヲワビシメタル ムクヰトヤ。サダメントスル。況ヤ仏菩薩ノ因位ノ行皆 法ヲ重シ分ヲカロクス其跡ヲオハヌ。我心ノツタナキニ テコソアラメ。タマタマ学ベキヲソシルニハ不及事也彼善 導和尚ハ念仏ノ祖師ニテ此身ナガラ証ヲ得給ヘル 人ナリ往生疑ベクモアラザリシカド。木ノ末ニノボリテ 身ヲナゲ給ヘリ。人ノ為ハアシキ事ヲシソメ給ハンヤハ。 又法華経云若人心ヲ起テ菩提ヲ求メント思ハハ手 ノ指足ノユビヲトボシテ仏陀ニ供養セヨト国城妻子/n15l 及太子国土モロモロノ宝ヲモテ供養スルニ勝レタリトノ 給ヘリ。此事ウチ思ニハ人ノ身ヲヤク皮クサクケガラハシ 仏ノ御為ニ何ノ御用ヤハアラン。云ハバ一フサノ花ニモヲ トリ。一ヒネリノ香ニモ及難ケレド。心サシ深クシテ苦ミヲ 忍フ故ニ大ナル供養トナルニコソハアラメ。サルニテハ若人 イサキヨキ心ヲ発シテヲモハク太子国土勝タル供養 トノ給ハハコソ。我等ガ為ニハ難カラメ。此身ハ我有ナリ。然 モ夢ノ如クシテ空シク朽ナントス。ナニカハ一指ニカギラ ンサナガラ身命ヲ仏道ニナゲテ一時ノクルシミ無始 生死ノ罪ヲツクノヒ仏ノカヒニヨク臨終正念ナル事/n16r ヲ得ント深ク思ヒトリテ。クヰ物ヲモタチ身灯入海ヲモ センニハ。タレ故発シ給ヘル悲願ナレバカ引接シ給ハザラン。 サラバ今ノ世ニモカ様ノ行ニテヲハリヲ取人マノアタリ 異香ニホヒ紫雲タナビキテ其瑞相アラタトルタメシヲ ホカリ。即カノ童子ノ水ヲソソキケンモ証ニハアラズヤ。アフ キテ可信疑テ何ノ益カハアル。シカルヲ我心ノ及ヌママニ 自ラ信ゼヌノミナラズ他ノ信心ヲサヘミダルハ愚痴ノ極 レルナリ/n16l